題: 「与えたい恵み」
聖書の箇所 「マタイの福音書20章1~16節」(新40頁)
※聖書:新改訳2017©2017 新日本聖書刊行会
1 天の御国は、自分のぶどう園で働く者を雇うために朝早く出かけた、家の主人のようなものです。
2 彼は労働者たちと一日一デナリの約束をすると、彼らをぶどう園に送った。
3 彼はまた、九時ごろ出て行き、別の人たちが市場で何もしないで立っているのを見た。
4 そこで、その人たちに言った。『あなたがたもぶどう園に行きなさい。相当の賃金を払うから。』
5 彼らは出かけて行った。主人はまた十二時ごろと三時ごろにも出て行って同じようにした。
6 また、五時ごろ出て行き、別の人たちが立っているのを見つけた。そこで、彼らに言った。『なぜ一日中何もしないでここに立っているのですか。』
7 彼らは言った。『だれも雇ってくれないからです。』主人は言った。『あなたがたもぶどう園に行きなさい。』
8 夕方になったので、ぶどう園の主人は監督に言った。『労働者たちを呼んで、最後に来た者たちから始めて、最初に来た者たちにまで賃金を払ってやりなさい。』
9 そこで、五時ごろに雇われた者たちが来て、それぞれ一デナリずつ受け取った。
10 最初の者たちが来て、もっと多くもらえるだろうと思ったが、彼らが受け取ったのも一デナリずつであった。
11 彼らはそれを受け取ると、主人に不満をもらした。
12 『最後に来たこの者たちが働いたのは、一時間だけです。それなのにあなたは、一日の労苦と焼けるような暑さを辛抱した私たちと、同じように扱いました。』
13 しかし、主人はその一人に答えた。『友よ、私はあなたに不当なことはしていません。あなたは私と、一デナリで同意したではありませんか。
14 あなたの分を取って帰りなさい。私はこの最後の人にも、あなたと同じだけ与えたいのです。
15 自分のもので自分のしたいことをしてはいけませんか。それとも、私が気前がいいので、あなたはねたんでいるのですか。』
16 このように、後の者が先になり、先の者が後になります。」
1,京都の上賀茂では、有名な賀茂なすが神社にささげられ、今週30日には夏の大祓が行われるとニュースで報道されていました。茄子を神社にささげることで、今年の豊作を祈る。日本では古くからそのような行事が営まれてきました。人間が神に祈るのは、自らに利益をもたらす為です。それが、ご利益でも、厄除けでも本質的には同じことで、神に何かをしてもらうために、人間は祈るのです。逆に「触らぬ神に祟りなし」という言葉の通り、こちらが何もしなければ、神は利益をもたらさないというのも、多くの日本人が共有する価値観でしょう。しかし、聖書に証される神様はその限りではないようです。
2,今日の箇所に登場する「ぶどう園の主人」は、採算を気にしないお人好し的な人物として描写されています。目についた労働者を片っ端から雇用して、本来日給分に相当しない人にまで一日分の給料を渡しているからです。そのあまりの気前の良さに、正規の労働をしている人間からも苦言が出る程でありましたが、主人は「私が渡したいので渡しているだけだ」と、悪びれもせずに支払いを止めません。つまりぶどう園の主人は、労働者をぶどう園で働かせる為でなく、1デナリを渡す為に雇用を持ちかけていたと言うことです。しかし、契約も結ばずにお金をばらまくのでは、他の雇用主への妨害になってしまい
ます。だから、「皆に1デナリを渡したい」とは思いつつも、彼は労働者に自らの意志で結んでもらう、正規の手続きを遵守したのです。
3,天の国とはそのようなものである、と救い主であるイエス様は言われました。どういうことでしょうか。私たちは普段の生活の中で罪を犯しますが、その罰の身代わりとなって十字架の上で死なれたイエス様に免じて、神様は私たちの罪を赦し、惜しみなく永遠のいのちを与えて下さいます。しかし、信じさせる目的で永遠のいのちを与えるの
ではありません。永遠のいのちを与えたいが為に、信じるように促されるのです。神様は、必ず意志を問われます。押し付けず、私たちの人格を尊重し、その上で、いつも自分から招きにきて下さるのです。






