題: 「深い憐み」
聖書の箇所 「ルカの福音書1章57~80節」(新109頁)
※聖書:新改訳2017©2017 新日本聖書刊行会
57 さて、月が満ちて、エリサベツは男の子を産んだ。
58 近所の人たちや親族は、主がエリサベツに大きなあわれみをかけてくださったことを聞いて、彼女とともに喜んだ。
59 八日目になり、人々は幼子に割礼を施すためにやって来た。彼らは幼子を父の名にちなんでザカリヤと名づけようとしたが、
60 母親は「いいえ、名はヨハネとしなければなりません」と言った。
61 彼らは彼女に「あなたの親族には、そのような名の人は一人もいません」と言った。
62 そして、幼子にどういう名をつけるつもりか、身振りで父親に尋ねた。
63 すると彼は書き板を持って来させて、「その子の名はヨハネ」と書いたので、人々はみな驚いた。
64 すると、ただちにザカリヤの口が開かれ、舌が解かれ、ものが言えるようになって神をほめたたえた。
65 近所に住む人たちはみな恐れを抱いた。そして、これらのことの一部始終が、ユダヤの山地全体に語り伝えられていった。
66 聞いた人たちはみな、これらのことを心にとどめ、「いったいこの子は何になるのでしょうか」と言った。主の御手がその子とともにあったからである。
67 さて、父親のザカリヤは聖霊に満たされて預言した。
68 「ほむべきかな、イスラエルの神、主。 主はその御民を顧みて、贖いをなし、
69 救いの角を私たちのために、しもべダビデの家に立てられた。
70 古くから、その聖なる預言者たちの口を通して語られたとおりに。
71 この救いは、私たちの敵からの、私たちを憎むすべての者の手からの救いである。
72 主は私たちの父祖たちにあわれみを施し、ご自分の聖なる契約を覚えておられた。
73 私たちの父アブラハムに誓われた誓いを。
74 主は私たちを敵の手から救い出し、恐れなく主に仕えるようにしてくださる。
75 私たちのすべての日々において、主の御前で、敬虔に、正しく。
76 幼子よ、あなたこそいと高き方の預言者と呼ばれる。主の御前を先立って行き、その道を備え、
77 罪の赦しによる救いについて、神の民に、知識を与えるからである。
78 これは私たちの神の深いあわれみによる。そのあわれみにより、曙の光が、いと高き所から私たちに訪れ、
79 暗闇と死の陰に住んでいた者たちを照らし、私たちの足を平和の道に導く。」
80 幼子は成長し、その霊は強くなり、イスラエルの民の前に公に現れる日まで荒野にいた。
メッセージ
1,朝に出勤し、作業台の上にある見慣れない箱を退かそうとしたら、社長の大事な荷物だと判って慌てて手を引っ込めた。みたいなことが仕事の中ではたまに起こります。そうした品とは、なるべく距離を取りたくなるのが人情というものです。今日の箇所でも、ヨハネが特別な子であると判ったとたんに、ザカリヤの親類や近隣の人々は、一斉にヨハネから距離を取ろうとしました。聖別された神様の持ち物に、不用意に触ってはいけないと考えたからです。
2,神様の持ち物に触れることが、大変恐ろしいというのは事実です。だから親類や近隣の人々の反応は当然のことだと思います。しかし、ザカリヤは距離をとった彼らに、賛歌(ベネディクトゥス)を通して、この特別な子ヨハネは、むしろ皆で近づくべきであり、神様もそのように招かれていると証しました。何故なら神様は、ご自身から距離を取って恐れる人々を招く為に、贈り物としてヨハネを聖別されたからです。冒頭に話した「社長の荷物」も、確かにそれだけを聞けば恐ろしいものかもしれません。しかし、それが社長から現場へ差し入れられたケーキだったとしたらどうでしょうか。皆、そうと判れば恐れずに受け取ろうと集まるはずです。何故なら、それは社長が皆の為に用意した贈り物であると、現場の人々が知ったからです。神様が求められることも、それと同じです。贈り物であるからこそ、皆にヨハネに近づいて欲しいと招かれたのです。
神様は、良いものを聖別されます。それを食卓のように整え、私たちを招き、与える為です。神様は、私たちを喜ばせることを通して、ご自分もまた喜びたいと願われる方なのです。その為に必要なら、受肉されたイエス様のように、ご自分から近づいて呼びかけてすら下さいます。神様は、私たちとの「近さ」を喜ばれる方なのです。私たちはそのような神様に招かれ、既に近くに居るのです。
3,神様が私たちとの近さを喜ばれるのは、深い憐みの故です。その近さとは、私たちの日常生活の中でも常に感じることの出来る近さです。仕事机の傍らに、寝室に、台所に、居間のソファの上に、常に神様は居られて、私たちとの生活を喜んでくださいます。このような神様に対し、私たちは今日、語り掛けるべきなのです。






