メッセージ
題: 「ノアの息子達」
聖書の箇所 「創世記6章1~7節」(旧12頁)
※聖書:新改訳2017©2017 新日本聖書刊行会
最近はスピリチュアル市場が非常に人気です。2023年時点で4兆円を超える売り上げを見せており、近所の様々な場所でも関連店を見かけるようになりました。スピリチュアルは、「あなたには価値がある」「その人生には意味がある」と、承認欲求を満たす言葉を与えてくれる点で非常に有益なものに思われますが、その反面、その言葉は取り扱う本人達ですら、「当たるも八卦、当たらぬも八卦」、「信じるか信じないかはあなた次第」と、責任をもって引きうけることが出来ない「ふんわりした言葉」でもあります。しかし、我々がそれを指摘すれば、「教会も同じではないか」という批判はまぬがれないでしょう。何故なら我々も、「神はあなたを愛している」「あなたには価値がある」と、似たような「福音」を宣べ伝えているからです。それに根拠を問われるのは当然のことではないでしょうか。
私達は、「神は全ての人を愛している」という言葉を良く用います。それは、伝道の基本である、神、罪、救いの三つを伝える上で必ず言わねばならないことだからです。しかし、「神はありのままで受け入れて下さる」「神に愛されていない人など一人も居ない」「罪の大きさはその好意には無関係だ」と伝道の言葉を進める途上で、私達はどのぐらい「それは本当か?」という問いに対し、確信と責任をもって「そうだ」と返答できるでしょうか。
大前提として、私たちが人々に宣べ伝える福音は、科学的見地に基づいて「証明されている」とは言えない信仰の領域を取り扱うものです。だからこそ「それは本当か?」と問われた際に、「私はそう信じる」とか「そうだと思う」とか、自分の気持ちに基づく「ふんわりとした言葉」では、信用を得るには足りません。少なくとも、「私は二千年の昔から変わらずそこにあり、精査され、受け継がれてきた聖書の言葉に立つ」ぐらいは言えなければならないでしょう。つまり、「神はあなたを愛している」という言葉一つを伝えるのにも、私達はどの御言葉がそれを保証しているのかを知っていなければならないのです。
例えば、先に例を挙げた「神の愛」のご性質は、キリストよりも前からノア契約によって証されていることです。今日開いた箇所で神様は、洪水後の新世界でノアと契約する前に、8章21節で「人間は生まれながらの悪(罪びと)である」という事実をはっきり確認されました。しかし、それでも9章1節で「例え、そうであったとしても、それでも私はあなたを祝福する」と、ノアとその息子達、すなわちノアの子孫全てに対して、はっきり契約されたのです。聖書によれば、この地上で生きている全ての人で、ノアの子孫でない人は一人も居ません。我々が罪びとだと知られた上で神様が祝福された以上、どんな罪を犯し、イエス様を全く知らずに生きているのだとしても、全ての人が「ノアの息子と娘達」であるが故に、「神様から愛されていない人など絶対に居ない」と言い切れるのです。
神様は歴史の中で、私達に明確な証を立てて御自分のご性質を示し、それを聖書に残して下さいました。神様による福音の中に、気休めの言葉など何ひとつないのです。もし、私達がそのような御言葉の一つ一つを心に蓄え、昼も夜も口ずさみ、自らの言葉の土台に据えるのならば、その口が語る福音は「ふわっとした言葉」にはなりません。それどころか、岩の上に建てられた堅牢な要塞の如く、絶対に外側から崩されない確信に満ちたものとなるのです。ここに、御言葉の上に立つという奥義があります。私たち教会は、神様が祝福されたノアの息子や娘達に対して、一人も例外なく福音を宣べ伝える使命を負っています。その為に私達は日ごろ、どのような心持ちで御言葉に向き合い続けているでしょうか。確信と責任を持って堅牢に「諾と否」を語れる自分になると、今決断すべきなのです。