題: 「見えるようになる」
説教:京都聖徒教会 船田献一牧師
聖書の箇所 「ルカの福音書18章35~43節」(新156頁)
※聖書:新改訳2017©2017 新日本聖書刊行会
35 イエスがエリコに近づいたとき、一人の目の見えない人が道端に座り、物乞いをしていた。
36 彼は群衆が通って行くのを耳にして、これはいったい何事かと尋ねた。
37 ナザレ人イエスがお通りになるのだと人々が知らせると、
38 彼は大声で、「ダビデの子のイエス様、私をあわれんでください」と言った。
39 先を行く人たちが、黙らせようとしてたしなめたが、その人はますます激しく「ダビデの子よ、私をあわれんでください」と叫んだ。
40 イエスは立ち止まって、彼を連れて来るように命じられた。彼が近くに来ると、イエスはお尋ねになった。
41 「わたしに何をしてほしいのですか。」するとその人は答えた。「主よ、目が見えるようにしてください。」
42 イエスは彼に言われた。「見えるようになれ。あなたの信仰があなたを救いました。」
43 その人はただちに見えるようになり、神をあがめながらイエスについて行った。これを見て、民はみな神を賛美した。
見える世界も見えない世界も混とんとした時代の中で、いよいよ主によって信仰の目を開いていただき、希望に生かしていただきたい。今日の聖書記事には、ある盲人(マルコにはバルテマイと表記)が見えるようになった姿が描かれている。彼の目が開かれるに至った祝福の経緯を、この記事に記された、三度にわたる彼の叫びと行動を手がかりに見る。
1.彼は求める方を知っていた
バルテマイの祝福の第一歩は求める方を知っていたことだった。彼は大声で「ダビデの子のイエス様。私をあわれんでください」と言った。それは、主イェスが救い主であるとの自覚であり、主イエスヘの直接的な叫びだった。彼は主に目を向け、必要に答え得る方との確信をもって主に迫った。
2.彼は求める方法を知っていた
バルテマイの祝福の第二歩は、叫び続けたことだった。先を行く人たちが、黙らせようとしてたしなめたが、彼はますます激しく「ダビデの子よ、私をあわれんでください」と叫んだ。 38節の「叫び」は人の注意を促す大声で、39節の「叫び」は感情丸出しの金切り声。本当に手に入れたいものを目の前にした時に大切なことは激しく求める熱心であり、彼はそれを実践した。
3.彼は求める内容を知っていた
バルテマイの祝福の第二歩は、自分の求めを知っていたことだった。主イエスから「私に何をしてほしいのですか」と問われた時、彼は即座に「目が見えるようになることです」と答えた。彼は主が見えるようにしてくださる、との信仰のゆえに目が開かれ、願いが叶えられた。肉体の日は開いていても、心の目が閉ざされて見るべきもの、見るべき方が間ざされてはいないだろうか。解決は主にある。「私に何をしてはしいのですか」との問いかけに、バルテマイの熱心で応答し、「主よ。目が見えるようにしてください」と求め、祈ろう。



