R8.5.17 礼拝式

題: 「神の御心」
聖書の箇所 「ルカの福音書1章5~7節」(新106頁)
※聖書:新改訳2017©2017 新日本聖書刊行会
5 ユダヤの王ヘロデの時代に、アビヤの組の者でザカリヤという名の祭司がいた。彼の妻はアロンの子孫で、名をエリサベツといった。
6 二人とも神の前に正しい人で、主のすべての命令と掟を落度なく行っていた。
7 しかし、彼らには子がいなかった。エリサベツが不妊だったからである。また、二人ともすでに年をとっていた。

1,ルカの福音書は、語るべき福音の話を、華々しいイエス様の登場ではなく、何の変哲もない老祭司夫婦の物語から始めます。これは、最後の預言者と呼ばれ、来るべきエリヤと称されたバプテスマのヨハネが生まれた時の話です。ルカは、これを語り始める前に早速、読者に対して一つ問いを投げかけます。それは、「この老夫婦に本当は何が起こっていたのかを、どうか突き詰めて考えてみて欲しい」という問いかけでした。

2,ザカリヤとエリサベツ夫婦は、神の命令を落ち度なく守る正しい人でした。しかも、それは人から見てではなく、神様から見てであると地の文が宣言しています。これはとても珍しいことです。それにも関わらず、二人には子供がいませんでした。当時は不妊を、罪の罰や神の呪いに当たり前に結びつける時代です。二人も当然、あらぬ疑いをかけられたと思われます。このような事態を見る時、私たちはしばしば、これらを試練や訓練といった「神様の前で苦しむことそのものを目的とする出来事」として理解してしまうのですが、本当にそうなのでしょうか。

3,8節からの天使の告知は、幼子ヨハネが預言者サムエルや、士師サムソンのような、主の前に聖別された特別な働き人として生まれてくるというものでした。イエス様と同じく、特別な役目を担う預言の子は、聖別された初子として生まれてくるように、予め計画されていたのです。ただ、救い主誕生の時は既に定まっていましたから、ヨハネも待つ必要がありました。故にザカリヤ夫婦は、それまで辛い時間に耐える必要があったのです。神様からの栄誉は、苦しみに耐えたことへの報酬ではありません。神様が与えようとされる栄誉の計画がまず先にあり、それにこの世が抵抗して摩擦を起こすだけなのです。

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