R6.1.1 元旦礼拝

題: 「主の恵みはいつも満ちている」
聖書の箇所 「コリント人への手紙第二 12章1~10節」(新約P.370)
※聖書:新改訳2017©2017 新日本聖書刊行会
1 私は誇らずにはいられません。誇っても無益ですが、主の幻と啓示の話に入りましょう。
2 私はキリストにある一人の人を知っています。この人は十四年前に、第三の天にまで引き上げられました。肉体のままであったのか、私は知りません。肉体を離れてであったのか、それも知りません。神がご存じです。
3 私はこのような人を知っています。肉体のままであったのか、肉体を離れてであったのか、私は知りません。神がご存じです。
4 彼はパラダイスに引き上げられて、言い表すこともできない、人間が語ることを許されていないことばを聞きました。
5 このような人のことを私は誇ります。しかし、私自身については、弱さ以外は誇りません。
6 たとえ私が誇りたいと思ったとしても、愚か者とはならないでしょう。本当のことを語るからです。しかし、その啓示があまりにもすばらしいために、私について見ること、私から聞くこと以上に、だれかが私を過大に評価するといけないので、私は誇ることを控えましょう。
7 その啓示のすばらしさのため高慢にならないように、私は肉体に一つのとげを与えられました。それは私が高慢にならないように、私を打つためのサタンの使いです。
8 この使いについて、私から去らせてくださるようにと、私は三度、主に願いました。
9 しかし主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。わたしの力は弱さのうちに完全に現れるからである」と言われました。ですから私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。
10 ですから私は、キリストのゆえに、弱さ、侮辱、苦悩、迫害、困難を喜んでいます。というのは、私が弱いときにこそ、私は強いからです。

1,主の恵みは弱さのうちに現れる
8~9節「この使いについて、私から去らせてくださるようにと、私は三度、主に願いました。しかし主は、『わたしの恵みはあなたに十分である。私の力は弱さのうちに完全に現れるからである』と言われました。」
パウロは去らせてくださいと三度も願うほどの弱さを覚えました。しかし主は「わたしの恵みはあなたに十分」と言われます。弱さのような、
取り去つてほしいと思うほどのもののうちにこそ、主は恵みを完全に現され、満たしてくださるお方です。

2,自分の弱さを誇る
9節「ですから私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。」
パウロは積極的に「弱さを誇りましょう」と語ります。弱くても大丈夫ということではなく、弱さを積極的に用いて、キリストの恵みの力に
おおわれることを願つたのです。キリストの恵みは私たちの弱さや欠けを覆い尽くして、完全に現れるのです。

3,私が弱いときにこそ、私は強い
10節「ですから私は、キリストのゆえに、弱さ、侮辱、苦悩、迫害、困難を喜んでいます。というのは、私が弱いときにこそ、私は強いからである。」
キリストの恵みの力を信じて、恵みに満たされている人は、弱さの中にあっても強くあることができます。自分の持っているものではなく、
ただキリストにのみ満たされて、キリストのいのちの力によって歩むことができるからです。キリストの恵みはいつも私たちに満ちています。キリストのゆえに、大胆に弱さを誇りましょう。

 

 

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