題: 「訓練の完成」
聖書の箇所 「ヨハネの福音書21章1~14節」(新約P.229)
※聖書:新改訳2017©2017 新日本聖書刊行会
1 その後、イエスはティベリア湖畔で、再び弟子たちにご自分を現された。現された次第はこうであった。
2 シモン・ペテロ、デドモと呼ばれるトマス、ガリラヤのカナ出身のナタナエル、ゼベダイの子たち、そして、ほかに二人の弟子が同じところにいた。
3 シモン・ペテロが彼らに「私は漁に行く」と言った。すると、彼らは「私たちも一緒に行く」と言った。彼らは出て行って、小舟に乗り込んだが、その夜は何も捕れなかった。
4 夜が明け始めていたころ、イエスは岸辺に立たれた。けれども弟子たちには、イエスであることが分からなかった。
5 イエスは彼らに言われた。「子どもたちよ、食べる魚がありませんね。」彼らは答えた。「ありません。」
6 イエスは彼らに言われた。「舟の右側に網を打ちなさい。そうすれば捕れます。」そこで、彼らは網を打った。すると、おびただしい数の魚のために、もはや彼らには網を引き上げることができなかった。
7 それで、イエスが愛されたあの弟子が、ペテロに「主だ」と言った。シモン・ペテロは「主だ」と聞くと、裸に近かったので上着をまとい、湖に飛び込んだ。
8 一方、ほかの弟子たちは、魚の入った網を引いて小舟で戻って行った。陸地から遠くなく、二百ペキスほどの距離だったからである。
9 こうして彼らが陸地に上がると、そこには炭火がおこされていて、その上には魚があり、またパンがあるのが見えた。
10 イエスは彼らに「今捕った魚を何匹か持って来なさい」と言われた。
11 シモン・ペテロは舟に乗って、網を陸地に引き上げた。網は百五十三匹の大きな魚でいっぱいであった。それほど多かったのに、網は破れていなかった。
12 イエスは彼らに言われた。「さあ、朝の食事をしなさい。」弟子たちは、主であることを知っていたので、だれも「あなたはどなたですか」とあえて尋ねはしなかった。
13 イエスは来てパンを取り、彼らにお与えになった。また、魚も同じようにされた。
14 イエスが死人の中からよみがえって、弟子たちにご自分を現されたのは、これですでに三度目である。
1,私たちは皆、神様から召しを受けています。それに応答することで、各々が神様のご計画に役割をもって参加することができます。しかし、それに応答する為には、私たち自身の器も整えられていなければなりません。勿論、その訓練も神様の恵みの内に執り行われるのですが、それを従順に受け止めるのは、決して容易なことではありません。
2,ペテロは、イエス様から「あなたは人間を獲るようになる」と確かに招かれ、それに応答して従いました(ルカ5章10-11節)。しかし、彼はその後も、思ったことをそのまま口に出して叱られたり、逆上して剣で切りかかりたしなめられたりと、多くの失敗が繰り替えされます。何故ならイエス様の召しは本物でしたが、破れそうになった網の如く(ルカ5章6節)、彼自身の器がまだ整っておらず、訓練を必要としたからです。
3,しかし、イエス様はペテロを忍耐強く訓練し、彼もそれに従い続けました。それは決して楽なものではなく、受難の際には三度イエス様を裏切って挫折することもありました。しかし、ペテロはイエス様の召しに背を向けることがありませんでした。三度の裏切りの挫折も乗り越えて、彼は十分整えられたのです。復活したイエス様が現れた時、ペテロは自身の裸を繕う分別を忘れませんでした。これは、彼の十分な成長を表していると言えます。ペテロへの訓練は苦難の道ではありましたが、そこから背を向けないことを選び続けた彼の網は、もはや以前のように破れることはなくなりました。このように神様は、遣わす働きに耐え得る器へと訓練し、完成させた上で、私たち送り出して下さるのです。






