題: 「キリストの招き」
説教:峰山教会 才脇弘道牧師 (佐藤牧師は西舞鶴教会でご奉仕)
聖書の箇所 「マタイの福音書11章25~30節」(新約P.21)
※聖書:新改訳2017©2017 新日本聖書刊行会
25 そのとき、イエスはこう言われた。「天地の主であられる父よ、あなたをほめたたえます。あなたはこれらのことを、知恵ある者や賢い者には隠して、幼子たちに現してくださいました。
26 そうです、父よ、これはみこころにかなったことでした。
27 すべてのことが、わたしの父からわたしに渡されています。父のほかに子を知っている者はなく、子と、子が父を現そうと心に定めた者のほかに、父を知っている者はだれもいません。
28 すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
29 わたしは心が柔和でへりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすれば、たましいに安らぎを得ます。
30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」
今日の中心聖句である 28 節は、多くの人の救いのみことばにもなっ
ている有名な箇所です。「わたしのもとに来なさい」とイエス様は、まだ
救いに与っていない人々を招いておられると同時に、すでに救いに与っ
た人々をも招いておられます。
1.わたしのもとに来なさい
私たちは人生において様々な重荷を負わされ、疲れています。人生に
おける最大の重荷は罪です。日々罪を犯す私たちにとっては、ある意味
で、生きることそのものが重荷と言えるのではないでしょう。イエス様
はそのような私たちのために十字架で死んで、よみがえってくださいま
した。イエス様の十字架を信じる時、私たちのすべての罪は赦され、重
荷は取り除かれ、心に平安が与えられるのです。
2.わたしから学びなさい
私たちにとって救いとは、罪が赦されて、天国の約束が与えられるこ
とだけではありません。救いに与った者として日々イエス様から学ぶ必
要があります。それは、イエス様のくびきを負い、イエス様に倣うとい
う意味です。隣人を愛し、隣人に仕え、隣人のためにご自分のいのちを
捨てられたイエス様の生き方に倣う時、私たちのたましいに安らぎが与
えられるのです。
私たちすべての人を招かれるイエス様のもとに近づきましょう。十字
架の救いの恵みに感謝しつつ、日々イエス様から学びましょう。どのよ
うな時にも、よみがえられたイエス様とともに歩むことこそが、私たち
の平安です。