R1.11.17オープン・チャーチ

「題」 「初めであり終わりであるお方」
聖書の箇所 「ヨハネの黙示録21章1~4節」
(日本聖書協会:口語訳聖書より引用)
21:1 わたしはまた、新しい天と新しい地とを見た。先の天と地とは消え去り、海もなくなってしまった。
21:2 また、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために着飾った花嫁のように用意をととのえて、神のもとを出て、天から下って来るのを見た。
21:3 また、御座から大きな声が叫ぶのを聞いた、「見よ、神の幕屋が人と共にあり、神が人と共に住み、人は神の民となり、神自ら人と共にいまして、
21:4 人の目から涙を全くぬぐいとって下さる。もはや、死もなく、悲しみも、叫びも、痛みもない。先のものが、すでに過ぎ去ったからである」。

1、新しい天と新しい地
1節「わたしはまた、新しい天と新しい地とを見た。先の天と地とは消え去り、海もなくなってしまった」。
この「新しい天と新しい地」の「新しい」は、新約聖書の「新」と同じ原語が使われています。人が作り出したものは、どんな新しいものも、やがて古くなります。しかし、神様が与えてくださる新しい天と地、そして新しい生命は、この世のものとは全く異なる性質をもち、決して古びない、永遠の存在です。

2、神様が人と共に住まわれる
3節「見よ、神の幕屋が人と共にあり、神が人と共に住み、人は神の民となり、神自ら人と共にいまして」。
新しい天と地は、神様が人と共に住まわれる祝福の場所です。そこは、人の努力によって到達するところではありません。神様がわたしたちのために代価を払われて、神様とわたしたちとの間にある隔てをなくしてくださり、与えてくださる場所です。

3、人の目から涙が全くぬぐいとられる
4節「人の目から涙を全くぬぐいとって下さる。もはや、死もなく、悲しみも、叫びも、痛みもない。先のものが、すでに過ぎ去ったからである」。
新しい天と地に迎え入れられるわたしたちもまた、神様によって全く新しい者とされます。涙は全くぬぐいとられ、死も、悲しみも、痛みもなくなります。それらはすべて、キリストの十字架によって完全に過ぎ去り、わたしたちは新しい者に変えられます。

 

 

R1.10.20オープン・チャーチ

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「題」 「イエス様は世の光」 聖書の箇所 「ヨハネによる福音書9章1~5節 」 (日本聖書協会:口語訳聖書より引用) 9:1 エスが道をとおっておられるとき、生れつきの盲人を見られた。 9:2 子たちはイエスに尋ねて言っ … 続きを読む

R1.9.15オープン・チャーチ

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「題」 「イエス様の最初の奇蹟」 聖書の箇所 「ヨハネによる福音書2章6~10 節 」 (日本聖書協会:口語訳聖書より引用) 2:6 そこには、ユダヤ人のきよめのならわしに従って、それぞれ四、五斗もはいる石の水がめが、六 … 続きを読む

R1.8.11オープン・チャーチ

「題」 「神様の言葉を信じる」
聖書の箇所 「列王紀下5章8~14節 」
(日本聖書協会:口語訳聖書より引用)
5:8 神の人エリシャは、イスラエルの王がその衣を裂いたことを聞き、王に人をつかわして言った、「どうしてあなたは衣を裂いたのですか。彼をわたしのもとにこさせなさい。そうすれば彼はイスラエルに預言者のあることを知るようになるでしょう」。
5:9 そこでナアマンは馬と車とを従えてきて、エリシャの家の入口に立った。
5:10 するとエリシャは彼に使者をつかわして言った、「あなたはヨルダンへ行って七たび身を洗いなさい。そうすれば、あなたの肉はもとにかえって清くなるでしょう」。
5:11 しかしナアマンは怒って去り、そして言った、「わたしは、彼がきっとわたしのもとに出てきて立ち、その神、主の名を呼んで、その箇所の上に手を動かして、らい病をいやすのだろうと思った。
5:12 ダマスコの川アバナとパルパルはイスラエルのすべての川水にまさるではないか。わたしはこれらの川に身を洗って清まることができないのであろうか」。こうして彼は身をめぐらし、怒って去った。
5:13 その時、しもべたちは彼に近よって言った、「わが父よ、預言者があなたに、何か大きな事をせよと命じても、あなたはそれをなさらなかったでしょうか。まして彼はあなたに『身を洗って清くなれ』と言うだけではありませんか」。
5:14 そこでナアマンは下って行って、神の人の言葉のように七たびヨルダンに身を浸すと、その肉がもとにかえって幼な子の肉のようになり、清くなった。

1、神様は御自分を知らせるお方
8節「どうしてあなたは衣を裂いたのですか。彼をわたしのもとにこさせなさい。そうすれば彼はイスラエルに預言者のあることを知ることになるでしょう」。
努力がいつも正しい方に向いているとは限りません。頑張っても報われないこともあります。そのような迷える者を顧みて、神様はご自身の側からわたしたちに語りかけ、救いの道を示してくださいます。
2、信じることができない理由
12 節「ダマスコの川アバナとバルパルはイスラエルのすべての川水にまさるではないか。わたしはこれらの川に身を洗って清まることができないのであろうか」。
自分自身のことが心の中心にあると、神様の言葉を信じることができません。ナアマンは救いを求め、多くの努力をしたことでしょう。ですからエリシャの言葉に対して「そんな程度で救われるはずがない」と思ってしまい、神様の言葉の力を信じることができませんでした。
3、神様の言葉の力を信じる
14 節「そこでナアマンは下って行って、神の人の言葉のように七たびヨルダンに身を浸すと、その肉がもとにかえって幼な子の肉のようになり、清くなった」。
しもべたちの進言によって、ナアマンは心を翻して預言者エリシャの言葉の通りに実行しました。するとナアマンは清くなりました。神様の言葉には、わたしたちを清くする力があります。神様の救いの力を受け取るには、信仰によるしかありません。

R1.7.21オープン・チャーチ

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「題」 「神様を知る」 聖書の箇所 「列王紀上18章36~39節 」 (日本聖書協会:口語訳聖書より引用) 18:36 夕の供え物をささげる時になって、預言者エリヤは近寄って言った、「アブラハム、イサク、ヤコブの神、主よ … 続きを読む