R3.7.11 主日礼拝

「題」 「神様のわざが現されるため
聖書の箇所 「ヨハネの福音書9章1~12節」(新約P.199)
※聖書:新改訳2017©2017 新日本聖書刊行会
1 さて、 イエス は 通りすがり に、 生まれ た とき から 目 の 見え ない 人 を ご覧 に なっ た。
2 弟子 たち は イエス に 尋ね た。「 先生。 この 人 が 盲目 で 生まれ た のは、 だれ が 罪 を 犯し た から です か。 この 人 です か。 両親 です か。」
3 イエス は 答え られ た。「 この 人 が 罪 を 犯し た のでも なく、 両親 でも あり ませ ん。 この 人 に 神 の わざ が 現れる ため です。
4 わたし たち は、 わたし を 遣わさ れ た 方 の わざ を、 昼 の うち に 行わ なけれ ば なり ませ ん。 だれ も 働く こと が でき ない 夜 が来 ます。
5 わたし が 世 に いる 間 は、 わたし が 世 の 光 です。」
6 イエス は こう 言っ てから、 地面 に 唾 を し て、 その 唾 で 泥 を 作ら れ た。 そして、 その 泥 を 彼 の 目 に 塗っ て、
7 「行っ て、 シロアム( 訳す と、 遣わさ れ た 者) の 池 で 洗い なさい」 と 言わ れ た。 そこで、 彼 は 行っ て 洗っ た。 する と、 見える よう になり、 帰っ て 行っ た。
8 近所 の 人 たち や、 彼 が 物乞い で あっ た のを 前 に 見 て い た 人 たち が 言っ た。「 これ は 座っ て 物乞い を し て い た 人 では ない か。」
9 ある 者 たち は、「 そう だ」 と 言い、 ほか の 者 たち は「 違う。 似 て いる だけ だ」 と 言っ た。 当人 は、「 私 が その 人 です」 と 言っ た。
10 そこで、 彼ら は 言っ た。「 では、 おまえ の 目 は どの よう に し て 開い た のか。」
11 彼 は 答え た。「 イエス という 方 が 泥 を 作っ て、 私 の 目 に 塗り、『 シロアム の 池 に 行っ て 洗い なさい』 と 言わ れ まし た。 それで、 行っ て 洗う と、 見える よう になり まし た。」
12 彼ら が「 その 人 は どこ に いる のか」 と 言う と、 彼 は「 知り ませ ん」 と 答え た。

1、イエス様が見られたもの
3節「イエスは答えられた。『この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。この人に神のわざが現れるためです。」
生まれたときから目の見えない人と出会い、弟子たちはその問題しか見ることができませんでした。しかしイエス様の見られるとことは違いました。「この人に神のわざが現れるためです。」イエス様は愛をもってその人を見られ、神様のわざが現されることを期待されました。

2、世の光
4~5節「わたしたちは、わたしを遣わされた方のわざを、昼のうちに行わなければなりません。だれも働くことができない夜が来ます。わたしが世にいる間は、わたしが世の光です。」
「わたしが世にいる間は、わたしが世の光です」とあるのは、イエス様が世を去られて天に帰られた後は、わたしたちが神様のわざを現す世の光とされるということです。どんな問題を抱えていたとしても、神様はわたしたちによって、みわざを現すことがおできになります。

3、見えるようになるために
7節「『行って、シロアム(訳すと、遣わされた者)の池で洗いなさい』と言われた。そこで、彼は行って洗った。すると、見えるようになり、帰って行った。」
目の見えない者はイエス様に従い、きよめられて目が開かれました。こうして神様のみわざを体験した彼は、世の光となりました。わたしたちもイエス様によってきよめられて目を開いていただき、神様のみわざを現す世の光とならせていただきましょう。

 

 

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