R3.6.27 オープンチャーチ礼拝式

「題」 「主は与え、主は取られる
聖書の箇所 「ヨブ記1章20~22節」(旧約P.876)
※聖書:新改訳2017©2017 新日本聖書刊行会
20 このとき、ヨブは立ち上がって上着を引き裂き、
頭を剃り、地にひれ伏して礼拝し、
21 そして言った。
「私は裸で母の胎から出て来た。また裸でかしこに帰ろう。
主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな。」
22 ヨブはこれらすべてのことにおいても、罪に陥ることなく、
神に対して愚痴をこぼすようなことはしなかった。

1、神様を礼拝する
20 節「このとき、ヨブは立ち上がって上着を引き裂き、頭を剃り、地にひれ伏して礼拝し」
神様を信じていても不幸が押し寄せることがあります。しかし神様を信じている者は、上着を引き裂くほどの苦難を身に受けたとき、その苦しみを神様に告白して慰めを得ることができます。なぜなら神様はどのようなことがあっても、わたしたちから決して離れることのないお方だからです。

2、神様が主であることの告白
21 節「私は裸で母の胎から出て来た。また裸でかしこに帰ろう。主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな。」
ヨブの告白は、仕方がないという諦めの言葉ではありません。ヨブの身に起きたことはサタンによる策略でした。それはヨブが神様ではなくサタンを恐れる者となるようにとの狙いがありました。しかしヨブは、財産も家族も取り去られてもなお、神様がすべての支配者であることを認めて、一切を委ねます。

3、神様の人知を超えたご計画
22 節「ヨブはこれらすべてのことにおいても、罪に陥ることなく、神に対して愚痴をこぼすようなことはしなかった。」
ヨブの苦難は、ヨブにとって理不尽なことです。それでもヨブは神様に対して愚痴をこぼさず、神様から離れませんでした。イエス様の十字架も理不尽な出来事でした。それはわたしたちにとっては魂の救いという大きな出来事でした。神様のご計画は、わたしたちには理解できない、人知を超えたものなのです。

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