R2.9.13 主日礼拝

「題」 「目を覚ましていなさい」
聖書の箇所 「マタイによる福音書25章1~13節 」
(日本聖書協会:口語訳聖書より引用)
25:1 そこで天国は、十人のおとめがそれぞれあかりを手にして、花婿を迎えに出て行くのに似ている。
25:2 その中の五人は思慮が浅く、五人は思慮深い者であった。
25:3 思慮の浅い者たちは、あかりは持っていたが、油を用意していなかった。
25:4 しかし、思慮深い者たちは、自分たちのあかりと一緒に、入れものの中に油を用意していた。
25:5 花婿の来るのがおくれたので、彼らはみな居眠りをして、寝てしまった。
25:6 夜中に、『さあ、花婿だ、迎えに出なさい』と呼ぶ声がした。
25:7 そのとき、おとめたちはみな起きて、それぞれあかりを整えた。
25:8 ところが、思慮の浅い女たちが、思慮深い女たちに言った、『あなたがたの油をわたしたちにわけてください。わたしたちのあかりが消えかかっていますから』。
25:9 すると、思慮深い女たちは答えて言った、『わたしたちとあなたがたとに足りるだけは、多分ないでしょう。店に行って、あなたがたの分をお買いになる方がよいでしょう』。
25:10 彼らが買いに出ているうちに、花婿が着いた。そこで、用意のできていた女たちは、花婿と一緒に婚宴のへやにはいり、そして戸がしめられた。
25:11 そのあとで、ほかのおとめたちもきて、『ご主人様、ご主人様、どうぞ、あけてください』と言った。
25:12 しかし彼は答えて、『はっきり言うが、わたしはあなたがたを知らない』と言った。
25:13 だから、目をさましていなさい。その日その時が、あなたがたにはわからないからである。

1、思慮深い者
2~3節「その中の五人は思慮が浅く、五人は思慮深い者であった。
思慮の浅い者たちは、あかりは持っていたが、油を用意していなかった。しかし、思慮深い者たちは、自分たちのあかりと一緒に、入れものの中に油を用意していた」。思慮深い者と思慮が浅い者のどちらも、信仰の火であるあかりは持っていました。両者の違いは油を用意しているかどうかです。いくらあかりの芯が太くても、油がなければ火はすぐ消えてしまいます。わたしたちの信仰も、油である聖霊の助けがなければ消えてしまう弱いものです。

2、自分自身が問われる
9節「すると、思慮深い女たちは答えて言った、『わたしたちとあなたがたとに足りるだけは、多分ないでしょう。店に行って、あなたがたの分をお買いになる方がよいでしょう』」。
聖霊の助けは、他の人から分けてもらうことはできません。イエス様は何度も繰り返し、わたしたちに聖霊を与えてくださる約束をされ、聖霊を求めなさいと勧められました。思慮深い者たちは、約束を信じて聖霊を受ける者となりました。

3、目を覚ましていなさい
13 節「だから、目をさましていなさい。その日その時が、あなたがたにはわからないからである」。
思慮深い者も思慮の浅い者も、共に居眠りをしていたので、「目をさましていなさい」とは眠らずにいることではありません。自分の弱さと、聖霊の助けに目をさましていなさいということです。目をさましていないと自分自身を頼りとして、聖霊の助けを忘れる愚かさに陥ります。

 

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