「題」 「最後まで愛される主」
聖書の箇所 「ヨハネによる福音書13章1~5節」
(日本聖書協会:口語訳聖書より引用)
13:1 過越の祭の前に、イエスは、この世を去って父のみもとに行くべき自分の時がきたことを知り、世にいる自分の者たちを愛して、彼らを最後まで愛し通された。
13:2 夕食のとき、悪魔はすでにシモンの子イスカリオテのユダの心に、イエスを裏切ろうとする思いを入れていたが、
13:3 イエスは、父がすべてのものを自分の手にお与えになったこと、また、自分は神から出てきて、神にかえろうとしていることを思い、
13:4 夕食の席から立ち上がって、上着を脱ぎ、手ぬぐいをとって腰に巻き、
13:5 それから水をたらいに入れて、弟子たちの足を洗い、腰に巻いた手ぬぐいでふき始められた。
1、最後まで貫き通された愛
1節「過越の祭の前に、イエスは、この世を去って父のみもとにいくべき自分の時がきたことを知り、世にいる自分の者たちを愛して、彼らを最後まで愛し通された」。
「最後まで愛し通された」とは、最初から最後まで、愛されなかったことは全くなかったということです。わたしたちはどんなことがあっても、イエス様が愛する愛から引き離されることはないのです。
2、裏切る者をも愛する愛
2~3節「夕食のとき、悪魔はすでにシモンの子イスカリオテのユダの心に、イエスを裏切ろうとする思いを入れていたが、イエスは、父がすべてのものを自分の手にお与えになったこと、また、自分は神から出てきて、神にかえろうとしていることを思い」
イスカリオテのユダはイエス様を裏切ります。ペテロはイエス様を3度知らないと宣言します。そのような弟子たちをイエス様は愛されました。イエス様に愛されない人はひとりもいないのです。
3、価値ある者とする愛
4~5節「夕食の席から立ち上がって、上着を脱ぎ、手ぬぐいをとって腰に巻き、それから水をたらいに入れて、弟子たちの足を洗い、腰に巻いた手ぬぐいでふき始められた」。
足を洗うのはユダヤでは奴隷の仕事です。イエス様はわたしたちの奴隷となられるほど、わたしたちを価値ある者としてくださいます。また、わたしたちの罪を拭い取ってきよめ、神の子としてくださいます。わたしたちを救いきよめるイエス様の愛を信じましょう。