R2.2.23 主日礼拝

「題」 「道、真理、命である主」
聖書の箇所 「ヨハネによる福音書14章1~11節」
(日本聖書協会:口語訳聖書より引用)
14:1 「あなたがたは、心を騒がせないがよい。神を信じ、またわたしを信じなさい。
14:2
わたしの父の家には、すまいがたくさんある。もしなかったならば、わたしはそう言っておいたであろう。あなたがたのために、場所を用意しに行くのだから。
14:3 そして、行って、場所の用意ができたならば、またきて、あなたがたをわたしのところに迎えよう。わたしのおる所にあなたがたもおらせるためである。
14:4 わたしがどこへ行くのか、その道はあなたがたにわかっている」。 14:5トマスはイエスに言った、「主よ、どこへおいでになるのか、わたしたちにはわかりません。どうしてその道がわかるでしょう」。
14:6 イエスは彼に言われた、「わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない。 14:7もしあなたがたがわたしを知っていたならば、わたしの父をも知ったであろう。しかし、今は父を知っており、またすでに父を見たのである」。
14:8 ピリポはイエスに言った、「主よ、わたしたちに父を示して下さい。そうして下されば、わたしたちは満足します」。
14:9 イエスは彼に言われた、「ピリポよ、こんなに長くあなたがたと一緒にいるのに、わたしがわかっていないのか。わたしを見た者は、父を見たのである。どうして、わたしたちに父を示してほしいと、言うのか。
14:10 わたしが父におり、父がわたしにおられることをあなたは信じないのか。わたしがあなたがたに話している言葉は、自分から話しているのではない。父がわたしのうちにおられて、みわざをなさっているのである。
14:11 わたしが父におり、父がわたしにおられることを信じなさい。もしそれが信じられないならば、わざそのものによって信じなさい。
14:12 よくよくあなたがたに言っておく。わたしを信じる者は、またわたしのしているわざをするであろう。そればかりか、もっと大きいわざをするであろう。わたしが父のみもとに行くからである。
14:13 わたしの名によって願うことは、なんでもかなえてあげよう。父が子によって栄光をお受けになるためである。
14:14 何事でもわたしの名によって願うならば、わたしはそれをかなえてあげよう。

1、道である主
6節「わたしは道であり」
イエス様は「わたしを見た者は、父を見たのである」(9節)と言われました。イエス様が道であると言われたのは、イエス様は父なる神様と一つであり、直結しているお方ということです。イエス様と共にあることが、父なる神様に至る道なのです。また、父なる神様はイエス様を通してわたしたちに救いを与えられます。その意味でイエス様は父なる神様が来られる道なのです。

2、真理である主
6節「真理であり」
聖書が語る「真理」は、覆いが取り除かれて明らかにされるという意味があります。イエス様ご自身によって救いが明らかにされました。また真理は、真実、誠実という意味もあります。イエス様の十字架によって、父なる神様が救いの約束に対してご真実で誠実なお方であることが明らかにされました。

3、命である主
6節「命である」。
イエス様は死に打ち勝つ力があるので、イエス様にある命は決して失われることがありません。それは、罪の身代わりとなられた十字架によって与えられる命ですから、どんな人でも受け取ることのできる命です。また、主が与えてくださるのは父と御子と聖霊との愛の交わりです。イエス様は罪のために神様から離れてしまったわたしたちに、永遠の交
わりの回復を与えてくださるお方です。

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