「題」 「世に勝つ者」
聖書の箇所 「ヨハネの第一の手紙5章1~5節 」
(日本聖書協会:口語訳聖書より引用)
5:1 こののち、ユダヤ人の祭があったので、イエスはエルサレムに上られた。
5:2 エルサレムにある羊の門のそばに、ヘブル語でベテスダと呼ばれる池があった。そこには五つの廊があった。
5:3 その廊の中には、病人、盲人、足なえ、やせ衰えた者などが、大ぜいからだを横たえていた。〔彼らは水の動くのを待っていたのである。
5:4 それは、時々、主の御使がこの池に降りてきて水を動かすことがあるが、水が動いた時まっ先にはいる者は、どんな病気にかかっていても、いやされたからである。〕
5:5 さて、そこに三十八年のあいだ、病気に悩んでいる人があった。
1、神様の愛に生きる
1節「すべてイエスのキリストであることを信じる者は、神から生れた者である。すべて生んで下さったかたを愛する者は、そのかたから生れた者をも愛するのである」。
イエス様をキリストであると信じることは、神様がわたしたちを愛し、イエス様を救い主として遣わされたことを信じることです。わたしたちは自らの功績や努力、修練によって救いを得ることはできません。イエス様による救いを受け入れるのは、信仰によるのです。
1節「すべてイエスのキリストであることを信じる者は、神から生れた者である。すべて生んで下さったかたを愛する者は、そのかたから生れた者をも愛するのである」。
イエス様をキリストであると信じることは、神様がわたしたちを愛し、イエス様を救い主として遣わされたことを信じることです。わたしたちは自らの功績や努力、修練によって救いを得ることはできません。イエス様による救いを受け入れるのは、信仰によるのです。
2、聖書から愛の力を受ける
3節「神を愛するとは、すなわち、その戒めを守ることである。そして、その戒めはむずかしいものではない」。
神様の戒めを守るということは、神様がわたしたちを愛すると言われた、聖書のことばをそのまま信じて受け入れるということです。神様を愛し、神様に愛されていることを信じるならば、聖書に記された神様のことばは、さばきではなく愛のことばとして受け入れるからです。
3節「神を愛するとは、すなわち、その戒めを守ることである。そして、その戒めはむずかしいものではない」。
神様の戒めを守るということは、神様がわたしたちを愛すると言われた、聖書のことばをそのまま信じて受け入れるということです。神様を愛し、神様に愛されていることを信じるならば、聖書に記された神様のことばは、さばきではなく愛のことばとして受け入れるからです。
3、世に勝つ者
5節「世に勝つ者はだれか。イエスを神の子と信じる者ではないか」。
この世は、功績や才能がなければ認められない、愛されないという価値観の中にあります。それで多くの人は他人を押しのけてまで、認められようとします。そして争いが起こります。神様はイエス様を犠牲にされる真実の愛を与えることで、わたしたちをこの世から救い出してくださいました。世の力を信じないで、イエス様の愛を信じる者は、世に勝つ者とされます。
5節「世に勝つ者はだれか。イエスを神の子と信じる者ではないか」。
この世は、功績や才能がなければ認められない、愛されないという価値観の中にあります。それで多くの人は他人を押しのけてまで、認められようとします。そして争いが起こります。神様はイエス様を犠牲にされる真実の愛を与えることで、わたしたちをこの世から救い出してくださいました。世の力を信じないで、イエス様の愛を信じる者は、世に勝つ者とされます。