H29.2.26主日礼拝

*聖書のお話し(バイブル・メッセージ)
「題」 「神の国の完成」
聖書の箇所 「黙示録21:22~22:5」 (日本聖書協会:口語訳聖書より引用)

21:22 わたしは、この都の中には聖所を見なかった。全能者にして主なる神と小羊とが、その聖所なのである。
21:23 都は、日や月がそれを照す必要がない。神の栄光が都を明るくし、小羊が都のあかりだからである。
21:24 諸国民は都の光の中を歩き、地の王たちは、自分たちの光栄をそこに携えて来る。
21:25 都の門は、終日、閉ざされることはない。そこには夜がないからである。
21:26 人々は、諸国民の光栄とほまれとをそこに携えて来る。
21:27 しかし、汚れた者や、忌むべきこと及び偽りを行う者は、その中に決してはいれない。はいれる者は、小羊のいのちの書に名をしるされている者だけである。
22:1 御使はまた、水晶のように輝いているいのちの水の川をわたしに見せてくれた。この川は、神と小羊との御座から出て、
22:2 都の大通りの中央を流れている。川の両側にはいのちの木があって、十二種の実を結び、その実は毎月みのり、その木の葉は諸国民をいやす。
22:3 のろわるべきものは、もはや何ひとつない。神と小羊との御座は都の中にあり、その僕たちは彼を礼拝し、
22:4 御顔を仰ぎ見るのである。彼らの額には、御名がしるされている。
22:5 夜は、もはやない。あかりも太陽の光も、いらない。主なる神が彼らを照し、そして、彼らは世々限りなく支配する。

「私たちは どこから来て、何のために生き、どこへいくのか・・」という永遠の問いかけに対して、主なる神は
「わたしは、アルパであり、オメガである。」(22:12)、
「今いまし、昔いまし、やがてやがてきたるべきものである。」(1:8)
とお答えになっています。私たちの過去、現在、そして未来はこのお方、「全能者にして主なる神」の御手にあるのです。1世紀末、迫害の故エーゲ海のパトモス島に流されたヨハネは、主の日に驚くべき幻を見せられ、それを記したのがヨハネ黙示録です。ヨハネは「完成した神の国の姿」を見ました。

1、聖所である都
ヨハネは完成された神の国の都(聖なる天のエルサレム)を見ましたが、地上の神の都エルサレムにあった<聖所>がありません。なぜなら、完成された神の国では「神と小羊とが、その聖所なのである」とあります。もはや、人が神を捜し求め、身を清めて犠牲を携え、神に近づく必要はありません。人は神と一つにされ、神に近づくため何の儀式も犠牲も必要なく、ありのままで神と共におり、神を拝することが許されるからです。神は罪を犯した人が追われた「エデン」(創2章)をもう一度回復し、さらにそれ以上の栄光に満ちさせてくださいます。

2、礼拝の民
この聖なる都に迎えられたのは、礼拝をささげる民です。これまで神の臨在に触れた者はあっても、「御顔を仰ぎ見る」ことの許された者はいませんでした。しかし、ここでは、主を
「顔と顔とを合わせて」(1コリ13:12)
礼拝するのです。この礼拝者たち、すなわち、キリストの救いに預かり聖霊をいただいた者たちは、天にあるいのちの書に名が記され、その人自身に御名が記されています。そして、
「この名によって神を崇めなさい」(1ペテロ4:16)
と命じられているのです。私たちは、この地上での礼拝を軽んじてはなりません。みことばと御霊により、真実な礼拝をささげつつ、この地上の礼拝が、やがて神の国の完成の時に、栄光に満ちた天上の礼拝に結びついていることを覚えて、信仰により、真心をもって聖霊を崇め、霊によって神を礼拝していきましょう。

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