H29.2.19オープン・チャーチ

*聖書のお話し(バイブル・メッセージ)
「題」 「信じること」
聖書の箇所 「ヨハネ1:12」 (日本聖書協会:口語訳聖書より引用)
1:12 しかし、彼を受けいれた者、すなわち、その名を信じた人々には、彼は神の子となる力を与えたのである。

今日、私たちが「信じる」というとき、そこにはいろいろな課題があります。目に見えないものを信じることに恐れと抵抗が働き、キリスト信仰の特色である「信じるだけで、救われる」に対して、そんな簡単に罪業深い人間が救われるのは不真面目だという人もいます。実は「信じる」ことは簡単なようで、実際はよくわからないということが多いのです。では、聖書が言う「信じる」とはどういうことなのでしょうか。正しい事実の認識 何でも信じさえすればそれでいい、信じること自体が尊い、根も葉もないことでも信じさえすれば安心を得るという<信心>があります。しかし、信仰は「迷信」、「盲信」、「狂信」の類いを退け、何を信じるのかが重要です。確かな信仰は、明白で信頼できる事実に基づくものであって、その事実の正しい認識から本当の信仰が始まるのです。

1、「罪」という事実
罪と言う事実を、自分自身の事実として認めることです。人や社会のそれでなく、「罪」はまぎれもなく、わたしたちの内に現存する事実ではないでしょうか。しかも、この罪を自分自身ではどうすることもできないことも事実です。

2、「死」という現実
だれにも「死」がやってきます。長生きするようになった事は、死ななくてよくなったことではありません。死は、すべての人にとって、今も例外なき事実です。キリストを信じる信仰は、この私の死の現実から目をそむけない正しい認識を必要とします。
「人間には、一度死ぬことと、死後にさばきを受けることが定まっている」

3、キリストの十字架と復活という事実
私たちの罪」も「私たちの死」も冷酷なまでの現実、事実です。良いお話や深淵な哲学、高尚な悟りではとても解決できません。罪と死の事実は、その救いにおいても事実であり、力ある救いでなければなりません。「キリストの十字架と復活」は、人間の罪と死の事実から来る必然です。ここに確かな救いの事実があるのです。だれも、キリストの十字架と復活を信じるなら救われます。

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