H28.12.18主日礼拝

*聖書のお話し(バイブル・メッセージ)
「題」 「変化をもたらすキリスト」
聖書の箇所 「ヨハネ2:1~11」 (日本聖書協会:口語訳聖書より引用)
2:1 三日目にガリラヤのカナに婚礼があって、イエスの母がそこにいた。
2:2 イエスも弟子たちも、その婚礼に招かれた。
2:3 ぶどう酒がなくなったので、母はイエスに言った、「ぶどう酒がなくなってしまいました」。
2:4 イエスは母に言われた、「婦人よ、あなたは、わたしと、なんの係わりがありますか。わたしの時は、まだきていません」。
2:5 母は僕たちに言った、「このかたが、あなたがたに言いつけることは、なんでもして下さい」。
2:6 そこには、ユダヤ人のきよめのならわしに従って、それぞれ四、五斗もはいる石の水がめが、六つ置いてあった。
2:7 イエスは彼らに「かめに水をいっぱい入れなさい」と言われたので、彼らは口のところまでいっぱいに入れた。
2:8 そこで彼らに言われた、「さあ、くんで、料理がしらのところに持って行きなさい」。すると、彼らは持って行った。
2:9 料理がしらは、ぶどう酒になった水をなめてみたが、それがどこからきたのか知らなかったので、(水をくんだ僕たちは知っていた)花婿を呼んで
2:10 言った、「どんな人でも、初めによいぶどう酒を出して、酔いがまわったころにわるいのを出すものだ。それだのに、あなたはよいぶどう酒を今までとっておかれました」。
2:11 イエスは、この最初のしるしをガリラヤのカナで行い、その栄光を現された。そして弟子たちはイエスを信じた。

ガリラヤの「カナ」で結婚式があり、主イエスと弟子たちもその祝宴に招かれました。

1、ブドウ酒が無くなる(1~3)
結婚式は人々には喜びと楽しみの時です。その楽しみはぶどう酒の振る舞いです。しかし、そのぶどう酒が尽きてしまいました。このようなハプニングは、私たちの人生においても折々襲いかかる挫折や苦しみを表します。外から見て幸福で喜ばしく見える人の人生にも、ある日突然それが断ち切られることが起り、人生において「喜びのぶどう酒が尽きる」という経験をします。

2、マリヤの信頼 (3~8)
ブドウ酒が尽き、台所でみんなが気をもんでいたとき、マリヤは息子のところに行って「ぶどう酒がなくなりました」(3)と告げます。それに対する主の答えは何かよそよそしく感じます。しかし、実際は、親しさがこもった言葉で、自分は人の要求で動くのでなく、ご自分の判断と意志で行動することを明言されたのです。しかし、主は人間の欠乏、必要に心を留め、共感し、人間の喜びを回復してくださるのです。

3、水がぶどう酒に変わる(11)
僕たちが主の命じられるまま、水瓶の縁まで水を汲み、それを宴席に運んで行ったとき、その水は宴会の世話役を驚かせるほど上等のぶどう酒に変わっていました。人間の喜びが尽き、愛の営みが危機に陥っていたのが、尽きぬ喜び、尽きぬ愛へと変えられたのです。この驚くべき奇蹟の原動力は何でしょうか。それは喜びのぶどう酒が尽き、焦りと絶望の中に陥っていた人々に、主が深い同情と「共感」を持たれたことです。主イエスの「共感」(愛)が人間の危機を転換させる力となりました。神が人間の喜びや悲しみに深く共感してくださる時、神の愛が大きな力となって働き、人の病を癒し、行き詰まりを開き、不足が豊かに補い溢れ、悲しみを喜びに変えて下さるということが起るのです。愛の「共鳴」の力が、水をぶどう酒に変えるほどの大きな力になりました。神が、私たちの苦しみ、悩みに寄り添い、共感し、神のひとり子をお遣わしになったのがクリスマスの出来事、「インマヌエル」、われらと共なる神なのです。

報告:コンサートのチケット売り上げ52,500円(105枚)、当日募金箱13,600円、計:66,100円をクリスマス支援として国際飢餓対策機構に送りました。

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