H27.3.15 第3回オープン・チャーチ

*聖書のお話し(バイブル・メッセージ)
「題」 「生きていますか 死んでいますか」
聖書の箇所 「ヨハネ11:17~27」 (日本聖書協会:口語訳聖書より引用)

11:17 さて、イエスが行ってごらんになると、ラザロはすでに四日間も墓の中に置かれていた。
11:18 ベタニヤはエルサレムに近く、二十五丁ばかり離れたところにあった。
11:19 大ぜいのユダヤ人が、その兄弟のことで、マルタとマリヤとを慰めようとしてきていた。
11:20 マルタはイエスがこられたと聞いて、出迎えに行ったが、マリヤは家ですわっていた。
11:21 マルタはイエスに言った、「主よ、もしあなたがここにいて下さったなら、わたしの兄弟は死ななかったでしょう。
11:22 しかし、あなたがどんなことをお願いになっても、神はかなえて下さることを、わたしは今でも存じています」。
11:23 イエスはマルタに言われた、「あなたの兄弟はよみがえるであろう」。
11:24 マルタは言った、「終りの日のよみがえりの時よみがえることは、存じています」。
11:25 イエスは彼女に言われた、「わたしはよみがえりであり、命である。わたしを信じる者は、たとい死んでも生きる。
11:26 また、生きていて、わたしを信じる者は、いつまでも死なない。あなたはこれを信じるか」。
11:27 マルタはイエスに言った、「主よ、信じます。あなたがこの世にきたるべきキリスト、神の御子であると信じております」。

 聖書に、次のようなことばがあります。「あなたは、生きているというのは名だけで、実は死んでいる。」(ヨハネ黙示録3:1)「死んでいるのに、生きている」ではなく、「生きているのに、実は死んでいる」と言っているのです。 聖書は、私たちが言う「生きている」とか「死んでいる」という肉体的、物質的な生死のことではなく、もう一つの生死、「目に見えない霊的な実態における生死」について、人間はみな「生きながら 死んでいる」と言います。

1、霊的な死
 どんな最新式の電気製品でも電源につながれていない限り、ただの飾り物で役にたちません。同様に、人がいのちの源である神から離れている状態を、「霊的に死んでいる」と言います。人類の父祖「アダム」と「エバ」が神の戒めを破ったとき、決定的変化が起こりました。それは、神との断絶(死)です。この瞬間、人間に「死」が入り、死は人類全体に及び死の中に閉じ込められてしまいました。 「罪過によって死んでいた」 (エペソ 2:5)

2、死の結果
 死には霊的な死と肉体的な死があります。人間は罪に負けて心の平安と自由を失いました。困難な問題の多くは、人間が霊的いのちを失い(霊的な死)、善を行う力を失って悪を行う自己矛盾、不自由から来ています。さらには、罪を犯した結果、さばき(肉体の死と滅び)を刈り取ることとなりました。「一度だけ死ぬことと、死んだ後 さばきを受けることが、人間に定まっている。」 (へブル9:27)

3、いのちはキリストに
 キリストは「わたしはよみがえりであり、命である。」(ヨハネ11:25)と言われ、死後四日経つラザロを、墓の中から甦らせました。さらに、自ら十字架の上に死んで罪の贖いを完成し、復活して永遠の命を明らかにされました。
「わたしはよみがえりであり、命である。わたしを信じる者は、たとい死んでも生きる」(11:25)キリストこそ、死んでいた私たちに命を与え、命に生かす救い主なのです。

わたしはよみがえりであり、命である。わたしを信じる者は、たとい死んでも生きる。 ヨハネ11:25

プログラム 時間 音声
Ⅰ、賛美歌を歌おう    
 (1)♪209:慈しみ深き 4:12

 (2)♪474:主がわたしの手を

3:53

 (3)♪233:驚くばかりの

2:12

 (4)私の信仰物語 3:50

 (5)主の祈り 0:55

Ⅱ、聖書のお話し

ヨハネ11:17~27

2:03

生きていますか 死んでいますか

10:00

10:00

10:00

10:00

 8:18

 (2)賛美257: キリストは生きておられる 3:19

(3)感謝献金 1:51

 (4)賛美165:栄光イエスにあれ
 (5)祝福の祈り
1:23

 

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