R4.3.27 オープンチャーチ礼拝式

「題」 「キリストの受難」
聖書の箇所 「ルカの福音書23章22~25節」(新約P.170)
※聖書:新改訳2017©2017 新日本聖書刊行会
22 ピラトは彼らに三度目に言った。「この人がどんな悪いことをしたというのか。彼には、死に値する罪が何も見つからなかった。だから私は、むちで懲らしめたうえで釈放する。」
23 けれども、彼らはイエスを十字架につけるように、しつこく大声で要求し続けた。そして、その声がいよいよ強くなっていった。
24 それでピラトは、彼らの要求どおりにすることに決めた。
25 すなわち、暴動と人殺しのかどで牢に入れられていた男を願いどおりに釈放し、他方イエスを彼らに引き渡して好きなようにさせた。

1、罪のないお方
22 節「ピラトは彼らに三度目に言った。『この人がどんな悪いことをしたというのか。彼には、死に値する罪が何も見つからなかった。だから私は、むちで懲らしめたうえで釈放する。」
ローマ総督のピラトは、ユダヤ最高法院や群衆の訴えを退け、イエス様には罪がないと判決をくだします。しかし無罪であるにもかかわらず、ピラトはイエス様をむちで懲らしめたうえで釈放すると語ります。ピラトは正しい裁きを貫くことができませんでした。

2、大声の要求
23 節「けれども、彼らはイエスを十字架につけるように、しつこく大声で要求し続けた。そして、その声がいよいよ強くなっていった。」
ピラトはローマ帝国から与えられた権威によって、正しい裁きを行おうとしました。ところが群衆の声がピラトの権威よりも強くなってしまいました。私たちもまた、悪の力に飲み込まれて、正しいことを行うことができない弱さをもっているのではないでしょうか。

3、キリストの受難と救い
24~25 節「それでピラトは、彼らの要求どおりにすることに決めた。すなわち、暴動と人殺しのかどで牢に入れられていた男を願いどおりに釈放し、他方イエスを彼らに引き渡して好きなようにさせた。」
イエス様は全く無力であるかのように思われます。しかし違います。救われるはずのない人殺しの男、バラバが釈放されます。イエス様が黙ってその罪を負われたからです。イエス様だけが、悪の力を覆され、私たちへの救いを実現することができるのです。

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