R6.3.24 オープンチャーチ礼拝式

題: 「十字架上のイエス様」
聖書の箇所 「マタイの福音書27章45~50節」(新約P.62)
※聖書:新改訳2017©2017 新日本聖書刊行会

45 さて、十二時から午後三時まで闇が全地をおおった。
46 三時ごろ、イエスは大声で叫ばれた。「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」これは、「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。
47 そこに立っていた人たちの何人かが、これを聞いて言った。「この人はエリヤを呼んでいる。」
48 そのうちの一人がすぐに駆け寄り、海綿を取ってそれに酸いぶどう酒を含ませ、葦の棒に付けてイエスに飲ませようとした。
49 ほかの者たちは「待て。エリヤが救いに来るか見てみよう」と言った。
50 しかし、イエスは再び大声で叫んで霊を渡された。

1,神様から見捨てられたイエス様
46 節「三時ごろ、イエスは大声で叫ばれた。『エリ、エリ、レマ、サバクタニ。』これは、『わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか』という意味である。」
イエス様が十字架にかけられた直接の原因は、ユダヤ指導者たちの妬みによる策略です。そのことを含めたすべての人の罪を身代わりに受け、イエス様は十字架にかかられます。それは形だけのものではなく、完全に私たちの身代わりとなられて、神様に見捨てられたのです。

2,人々に見捨てられたイエス様
47~48 節「そこに立っていた人たちの何人かが、これを聞いて言った。『この人はエリヤを呼んでいる。』そのうちの一人がすぐに駆け寄り、海綿を取ってそれに酸いぶどう酒を含ませ、葦の棒に付けてイエスに飲ませようとした。」
イエス様の大声の叫びと苦しみを人々は理解できませんでした。イエス様に飲ませようとした酸いぶどう酒とは、着つけ薬として与えられるもので、死刑囚に長く苦しみを受けさせるためのものです。イエス様は人々に受け入れられず、完全に見捨てられてしまったのです。

3,霊を渡されたイエス様
50 節「しかし、イエスは再び大声で叫んで霊を渡された。」
イエス様は自ら進んで私たちの罪の身代わりとなられました。私たちが永遠の生命を受けることができるようになるため、ご自分の生命を、霊をすべて捨てられ、明け渡されました。私たちが十字架上のイエス様を仰ぎ、私の罪の身代わりであったと信じて受け入れるなら、イエス様の救いと永遠の生命を得るのです。

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