R6.3.10 礼拝式

題: 「イエス様の血による契約」
聖書の箇所 「マタイの福音書26章26~29節」(新約P.56)
※聖書:新改訳2017©2017 新日本聖書刊行会
26 また、一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、神をほめたたえてこれを裂き、弟子たちに与えて言われた。「取って食べなさい。これはわたしのからだです。」
27 また、杯を取り、感謝の祈りをささげた後、こう言って彼らにお与えになった。「みな、この杯から飲みなさい。
28 これは多くの人のために、罪の赦しのために流される、わたしの契約の血です。
29 わたしはあなたがたに言います。今から後、わたしの父の御国であなたがたと新しく飲むその日まで、わたしがぶどうの実からできた物を飲むことは決してありません。」

1,イエス様のからだ
26節「また、一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、神をほめたたえてこれを裂き、弟子たちに与えて言われた。『取って食べなさい。これはわたしのからだです。』」
イエス様はご自分を「いのちのパン」と語られました。パンが私たちのうちで血肉となり、いのちの力となるように、イエス様を内に宿すことによって、いのちの力に満たされ、真に生きる者となります。

2,罪の赦しのために流される血
27~28節「また、杯を取り、感謝の祈りをささげた後、こう言って彼らにお与えになった。『みな、この杯から飲みなさい。これは多くの人のために、罪の赦しのために流される、わたしの契約の血です。』」
律法では「肉のいのちは血の中にある…いのちとして宥めを行うのは血である」と規定されています。動物のいけにえの血は繰り返しささげられる必要がありました。しかしイエス様の血は、私たちの罪をきよめ、永遠の赦しを与える力があります。

3,イエス様の血による契約
28~29節「これは多くの人のために、罪の赦しのために流される、わたしの契約の血です。わたしはあなたがたに言います。今から後、わたしの父の御国であなたがたと新しく飲むその日まで、わたしがぶどうの実からできた物を飲むことは決してありません。」
罪の赦しが「すべての人」ではなく「多くの人のために」なのは、イエス様の救いが契約として与えられているからです。罪の赦しは私たちの決断にかかっていて、拒むこともできます。それは、イエス様が私たちと一方的ではない、愛の関係をもつことを望んでおられるからです。

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