R6.1.21 礼拝式

題: 「自分の十字架を負う」
聖書の箇所 「マタイの福音書16章21~28節」(新約P.34)
※聖書:新改訳2017©2017 新日本聖書刊行会
21 そのときからイエスは、ご自分がエルサレムに行って、長老たち、祭司長たち、律法学者たちから多くの苦しみを受け、殺され、三日目によみがえらなければならないことを、弟子たちに示し始められた。
22 すると、ペテロはイエスをわきにお連れして、いさめ始めた。「主よ、とんでもないことです。そんなことがあなたに起こるはずがありません。」
23 しかし、イエスは振り向いてペテロに言われた。「下がれ、サタン。あなたは、わたしをつまずかせるものだ。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている。」
24 それからイエスは弟子たちに言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負って、わたしに従って来なさい。
25 自分のいのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしのためにいのちを失う者はそれを見出すのです。
26 人は、たとえ全世界を手に入れても、自分のいのちを失ったら何の益があるでしょうか。そのいのちを買い戻すのに、人は何を差し出せばよいのでしょうか。
27 人の子は、やがて父の栄光を帯びて御使いたちとともに来ます。そしてそのときには、それぞれその行いに応じて報います。
28 まことに、あなたがたに言います。ここに立っている人たちの中には、人の子が御国とともに来るのを見るまで、決して死を味わわない人たちがいます。」

1,十字架と復活は必要なこと
21 節「そのときからイエスは、ご自分がエルサレムに行って、長老たち、祭司長たち、律法学者たちから多くの苦しみを受け、殺され、三日目によみがえらなければならないことを、弟子たちに示し始められた。」
「よみがえらなければならない」とは、「必要です」「必ずそうすることに決まっています」という強い意味で、文章全体にかかっています。キリストはローマ帝国の支配から解放して、イスラエルの王として君臨されると考えていた人々には受け入れがたい教えでした。

2,神様のことを思わない
23 節「しかし、イエスは振り向いてペテロに言われた。『下がれ、サタン。あなたは、わたしをつまずかせるものだ。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている。』」
ペテロは「とんでもないことです」と強い言葉で十字架と復活を否定します。それは、神様のことを思わない、サタンに支配されている心からでた発言でした。イエス様は私たちを神様の愛から引き離そうとする、サタンの支配から救ってくださるお方です。

3,自分の十字架を負う
24 節「それからイエスは弟子たちに言われた。『だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負って、わたしに従って来なさい。」
イエス様とともに天国に入るためには、自分のいのちを救おうという思いを捨てて、ただ十字架によってのみ救われることを信じるべきです。自分の十字架を負い、イエス様の愛に満たされて生きる者となるなら、あらゆるこの世の支配から解放されて、自由になるのです。

Leave a Reply

Your email address will not be published. Required fields are marked *

This site uses Akismet to reduce spam. Learn how your comment data is processed.