題: 「地上では旅人、寄留者」 説教:金井由嗣牧師
聖書の箇所 「ヘブル人への手紙11章1~16節」(新約P.451)
※聖書:新改訳2017©2017 新日本聖書刊行会
1 さて、信仰は、望んでいることを保証し、目に見えないものを確信させるものです。
2 昔の人たちは、この信仰によって称賛されました。
3 信仰によって、私たちは、この世界が神のことばで造られたことを悟り、その結果、見えるものが、目に見えるものからできたのではないことを悟ります。
4 信仰によって、アベルはカインよりもすぐれたいけにえを神に献げ、そのいけにえによって、彼が正しい人であることが証しされました。神が、彼のささげ物を良いささげ物だと証ししてくださったからです。彼は死にましたが、その信仰によって今もなお語っています。
5 信仰によって、エノクは死を見ることがないように移されました。神が彼を移されたので、いなくなりました。彼が神に喜ばれていたことは、移される前から証しされていたのです。
6 信仰がなければ、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神がご自分を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。
7 信仰によって、ノアはまだ見ていない事柄について神から警告を受けたときに、恐れかしこんで家族の救いのために箱舟を造り、その信仰によって世を罪ありとし、信仰による義を受け継ぐ者となりました。
8 信仰によって、アブラハムは相続財産として受け取るべき地に出て行くようにと召しを受けたときに、それに従い、どこに行くのかを知らずに出て行きました。
9 信仰によって、彼は約束された地に他国人のようにして住み、同じ約束をともに受け継ぐイサクやヤコブと天幕生活をしました。
10 堅い基礎の上に建てられた都を待ち望んでいたからです。その都の設計者、また建設者は神です。
11 アブラハムは、すでにその年を過ぎた身であり、サラ自身も不妊の女であったのに、信仰によって、子をもうける力を得ました。彼が、約束してくださった方を真実な方と考えたからです。
12 こういうわけで、一人の、しかも死んだも同然の人から、天の星のように、また海辺の数えきれない砂のように数多くの子孫が生まれたのです。
13 これらの人たちはみな、信仰の人として死にました。約束のものを手に入れることはありませんでしたが、はるか遠くにそれを見て喜び迎え、地上では旅人であり、寄留者であることを告白していました。
14 そのように言っている人たちは、自分の故郷を求めていることを明らかにしています。
15 もし彼らが思っていたのが、出て来た故郷だったなら、帰る機会はあったでしょう。
16 しかし実際には、彼らが憧れていたのは、もっと良い故郷、すなわち天の故郷でした。ですから神は、彼らの神と呼ばれることを恥となさいませんでした。神が彼らのために都を用意されたのです。
信仰生活が長くても短くても、聖書をよく読んでいてもそうでなくても、信仰が弱くなり、不安になることはあり得ます。ヘブル人への手紙の著者は、そのような不安の中にある人々に、信仰の原点(創始者)であるイエス様に目を向け、信仰生活を全うするようにと勧めています。
1.信仰とは、日に見える現実の「基底」にある神様のご意志に目を留めること
信仰は聖書の御言葉に基づいています。世界は神様のご意志(御心)と配慮(摂理)の下で動いています。私たちに理解できない出来事の背後にも、神様の深いご計画があり、イエス様の再臨の時にすべての出来事の意味が明らかにされます。この希望のゆえに、神の国の基準に基づいた生き方(神の義)を貫くことができるのです。
2.この信仰に生きた多くの先人たちの証があります
旧約聖書に登場する信仰者たちは、失敗もし、時に罪も犯しましたが、それでも神様の約束、天での報いを信じて、御心に従い歩み続けました。新約の時代に生きる信仰者には、「もつとすぐれたもの」(11章40節)が用意されています。イエス・キリストがよみがえられた、その福音を、私たちは知らされているからです。
3.目指すべき地を思い続けることで、地上の価値や他人の評価に左右されない生き方が可能になります
新約聖書の時代、キリスト者はローマ社会から警戒され、蔑視されていました。キリスト者の生き方が当時の世界の価値観と対立するものだったからです。しかし、キリスト者が神様の教えに従い続けた結果、現在の世界は、すべての人に生きる価値と尊厳を認めるように変わってきました。平和を追い求める思いも、世界中で共有されるようになりました。神の国は、確かにこの世界に広がりつつあります。
この世の価値観にとらわれ、日に見える現実がすべてだと思い込むことによって、私たちの信仰は弱っていきます。聖書に基づき、精霊に導かれて、イエス様に目を向ける信仰生活を送らせていただきましょう。
礼拝の模様は下記のリンクをクリックしてYouTubeにてご覧ください。
2023年10月29日 天橋立聖会礼拝
地上では旅人、寄留者 ヘブル人への手紙11章1~16節
さて、信仰は、望んでいることを保証し、目に見えないものを確信させるものです。
昔の人たちは、この信仰によって称賛されました。信仰によって、私たちは、この世界が神のことばで造られたことを悟り、その結果、見えるものが、目に見えるものからできたのではないことを悟ります。
信仰によって、アベルはカインよりもすぐれたいけにえを神に献げ、そのいけにえによって、彼が正しい人であることが証しされました。神が、彼のささげ物を良いささげ物だと明かししてくださったからです。彼は死にましたが、その信仰によって今もなお語っています。信仰によってエノクは死を見ることがないように移されました。神が彼を移されたので、いなくなりました。彼が神に喜ばれていたことは、移される前から証しされていたのです。信仰がなければ、神に喜ばれることはできません。神に近づく物は、神がおられることと、神がご自分を求める者に報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。信仰によって、ノアはまだ見ていない事柄について神から警告を受けたときに、恐れかしこんで家族の救いのために箱舟を造り、その信仰によって世を罪ありとし、信仰による義を受け継ぐ者となりました。
信仰によって、アブラハムは相続財産として受け取るべき地に出て行くようにと召しを受けたときに、それに従い、どこに行くのかを知らずに出て行きました。信仰によって、彼は約束された地に他国人のようにして住み、同じ約束をともに受け継ぐイサクやヤコブと天幕生活をしました。堅い基礎の上に建てられた都を待ち望んでいたからです。その都の設計者、また建設者は神です。
アブラハムは、すでにその年を過ぎた身であり、サラ自身も不妊の女であったのに、信仰によって、子をもうける力を得ました。彼が、約束してくださった方を真実な方と考えたからです。こういうわけで、一人の、しかも死んだも同然の人から、天の星のように、また海辺の数え切れない砂のように数多くの子孫が生まれたのです。
これらの人たちはみな、信仰の人として死にました。約束のものを手に入れることはありませんでしたが、はるか遠くにそれを見て喜び迎え、地上では旅人であり、寄留者であることを告白していました。そのように行っている人たちは、自分の故郷を求めていることを明らかにしています。もし彼らが思っていたのが、出て来た故郷だったなら、帰る機会はあったでしょう。しかし実際には、彼らが憧れていたのは、もっと良い故郷、すなわち天の故郷でした。ですから神は、彼らの神と呼ばれることを恥となさいませんでした。神が彼らのために都を用意されたのです。