「題」 「信仰の生活化」
聖書の箇所 「出エジプト記20章12~17節」(旧約P.135)
※聖書:新改訳2017©2017 新日本聖書刊行会
12 あなたの父と母を敬え。あなたの神、主が与えようとしているその土地で、あなたの日々が長く続くようにするためである。
13 殺してはならない。
14 姦淫してはならない。
15 盗んではならない。
16 あなたの隣人について、偽りの証言をしてはならない。
17 あなたの隣人の家を欲してはならない。あなたの隣人の妻、男奴隷、女奴隷、牛、ろば、すべてあなたの隣人のものを欲してはならない。」
1、神のかたちの実現のために
12 節「あなたの父と母を敬え。あなたの神、主が与えようとしているその土地で、あなたの日々が長く続くようにするためである。」
私たちが家族を大切にし、自分以外の他者との交わりに生きる理由は、神様が人を「われわれのかたち」と三位一体の愛の交わりに似せて造られたからです。個人主義に生きるのではなく、家族を初め、他者との交わりに生きることで、神のかたちが実現されるのです。
2、互いに生きるために
13 節「殺してはならない。」
すべての人は神様のものであり、神様が愛する尊い存在です。しかも御子イエス様が犠牲となられるほどに、生きるべき存在です。たとえ自分自身の命であっても、それが損なわれるようなことがあってはなりません。お互いの命を尊重し、互いに生かし合うべきです。ですから教会は、命を傷つける社会問題に対しても開かれた存在であるべきです。
3、本当に求めるべきもの
15~17 節「盗んではならない。あなたの隣人について、偽りの証言をしてはならない。あなたの隣人の家を欲してはならない。あなたの隣人の妻、男奴隷、女奴隷、牛、ろば、すべてあなたの隣人のものを欲してはならない。」
欲する思い自体は罪ではありません。「盗んではならない」「偽りの証言をしてはならない」「欲してはならない」これらの戒めは、魂の渇きが神様の愛によってしか満たされないことを気づかせ、正しい方向へと求めを導くためのものです。満たされない、欠けがあることを覚える理由は、神様から失われた存在となっているからです。