R5.5.21 礼拝式

「題」 「幸いな人」
聖書の箇所 「マタイの福音書5章1~12節」(新約P.6)
※聖書:新改訳2017©2017 新日本聖書刊行会
4 悲しむ者は幸いです。その人たちは慰められるからです。
5 柔和な者は幸いです。その人たちは地を受け継ぐからです。
6 義に飢え渇く者は幸いです。その人たちは満ち足りるからです。
7 あわれみ深い者は幸いです。その人たちはあわれみを受けるからです。
8 心のきよい者は幸いです。その人たちは神を見るからです。
9 平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるからです。
10 義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。
11 わたしのために人々があなたがたをののしり、迫害し、ありもしないことで悪口を浴びせるとき、あなたがたは幸いです。
12 喜びなさい。大いに喜びなさい。天においてあなたがたの報いは大きいのですから。あなたがたより前にいた預言者たちを、人々は同じように迫害したのです。

1、心の貧しい人は幸い
3節「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。」
これは、心の貧しい者になれば、幸いになれるということではありません。イエス様が心の貧しい者を幸いにしてくださるということです。「貧しい」とは乞食、無一文という意味です。自分自身の心の中には、幸いになるものは何一つないという者を、イエス様は天の御国の祝福をもって完全に満たしてくださるお方です。

2、慰められる幸い
4節「悲しむ者は幸いです。その人たちは慰められるからです。」
イエス様は、空虚な心を満たしてくださるだけではありません。悲しみや嘆きによって、天の幸いを受け入れる余地のない心に、慰めをもって臨んでくださいます。「慰め」は、傍らに呼び寄せるという意味があり、励ます、勧めるという訳もできます。イエス様は傷んだ葦を折ることなく、守ってくださるお方です。

3、義に飢え渇く者
6節「義に飢え渇く者は幸いです。その人たちは満ち足りるからです。」
不義の多いこの世界で、義に飢え渇いている者がどれだけいるでしょうか。義と平和の実現を諦めている人は、少なくないと思います。しかしイエス様は、不義に満ちた十字架にかかられ、神の義を全うされました。そして神様と人との間に和解をもたらしてくださいました。罪人をも義とされ、平和をもたらすイエス様の愛を信じましょう。

 

 

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