「題」 「復活の祝福」
聖書の箇所 「ルカの福音書書24章25~32節」(新約P.173)
※聖書:新改訳2017©2017 新日本聖書刊行会
25 そこでイエスは彼らに言われた。「ああ、愚かな者たち。心が鈍くて、預言者たちの言ったことすべてを信じられない者たち。
26 キリストは必ずそのような苦しみを受け、それから、その栄光に入るはずだったのではありませんか。」
27 それからイエスは、モーセやすべての預言者たちから始めて、ご自分について聖書全体に書いてあることを彼らに説き明かされた。
28 彼らは目的の村の近くに来たが、イエスはもっと先まで行きそうな様子であった。
29 彼らが、「一緒にお泊まりください。そろそろ夕刻になりますし、日もすでに傾いています」と言って強く勧めたので、イエスは彼らとともに泊まるため、中に入られた。
30 そして彼らと食卓に着くと、イエスはパンを取って神をほめたたえ、裂いて彼らに渡された。
31 すると彼らの目が開かれ、イエスだと分かったが、その姿は見えなくなった。
32 二人は話し合った。「道々お話しくださる間、私たちに聖書を説き明かしてくださる間、私たちの心は内で燃えていたではないか。」
1、心が鈍くて信じられない
25 節「そこでイエスは彼らに言われた。『ああ、愚かな者たち。心が鈍くて、預言者たちの言ったことすべてを信じられない者たち。』」
イエス様が近づかれて声をかけられても、弟子たちはイエス様だと分かりませんでした。彼らは十字架によって自分たちの望みが失われたと思い、心が鈍くなり、目の前の復活の希望が見えなくなっていました。この弟子たちの心を開かれるため、イエス様は近づかれたのです。
2、目が開かれ、復活が分かる
30~31 節「そして彼らと食卓に着くと、イエスはパンを取って神をほめたたえ、裂いて彼らに渡された。すると彼らの目が開かれ、イエスだと分かったが、その姿は見えなくなった。」
弟子たちはイエス様を家に招き入れます。そしてイエス様と食卓を共にします。すると二人の目が開かれてイエス様だと分かります。ただ聖書のことばを聞くだけでは、復活のいのちを得ることはできません。自分の生活の中でイエス様との出会いがなされることで、復活のいのちを得ることができるのです。
3、聖書の解き明かしに心が燃やされる
32 節「二人は話し合った。『道々お話しくださる間、私たちに聖書を解き明かしてくださる間、私たちの心は内で燃えていたではないか。』」
弟子たちがイエス様だと分かったとたん、イエス様の姿が見えなくなります。しかし彼らの心は聖書の解き明かしに心が燃やされた熱い思いに満たされます。それは、聖書のことばを通して復活のいのちが宿されたということです。イエス様の復活の力は、失望して冷えた心を燃やし、いのちに満たしてくださいます。