R4.1.30 オープンチャーチ礼拝式

「題」 「自分の十字架を負う
聖書の箇所 「ルカの福音書9章23~25節」(新約P.131)
※聖書:新改訳2017©2017 新日本聖書刊行会
23 イエスは皆に言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負って、わたしに従って来なさい。
24 自分のいのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしのためにいのちを失う者は、それを救うのです。
25 人は、たとえ全世界を手に入れても、自分自身を失い、損じたら、何の益があるでしょうか。

1、日々、自分の十字架を負う
23 節「イエスは皆に言われた。『だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負って、わたしに従って来なさい。』」
イエス様は「自分を捨て、日々自分の十字架を負う」者でなければ、神様の祝福、救いの恵みを得ることはできないと語られます。神様の救いと祝福は、親が子に与える愛と同じで、何の資格も修業も必要ありません。自分の努力に頼ることを捨てて、ただイエス様が私たちを愛して十字架にかかってくださったという恵みを受け入れましょう。

2、いのちを失う者は、それを救う
24 節「自分のいのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしのためにいのちを失う者は、それを救うのです。」
誰か自分のいのちを救うことができる人がいるでしょうか。救いも天国もわからない私たちは、いのちが失われている者であることを認めざるを得ません。しかしその気づきから救いが始まります。自分ではどうにもならないと自分を捨てるとき、イエス様を信じる道が開かれます。

3、たとえ全世界を手に入れても
25 節「人は、たとえ全世界を手に入れても、自分自身を失い、損じたら、何の益があるでしょう。」
この世で成功して、栄光と誉れを得ることが最上の祝福と思う人もあるでしょう。しかしその生き方はかえって自分自身を失い損ねます。いのちを満たすことのできるお方は、神様だけです。そして神様は、御子を犠牲にされて私たちにいのちを与えてくださいました。十字架による愛と恵みに満たされることこそ、最上の祝福です。

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