R3.10.24 オープンチャーチ礼拝式

「題」 「誰が救われるのか
聖書の箇所 「マタイの福音書19章23~26節」(新約P.39)
※聖書:新改訳2017©2017 新日本聖書刊行会

23 そこで、イエスは弟子たちに言われた。「まことに、あなたがたに言います。金持ちが天の御国に入るのは難しいことです。
24 もう一度あなたがたに言います。金持ちが神の国に入るよりは、らくだが針の穴を通るほうが易しいのです。」
25 弟子たちはこれを聞くと、たいへん驚いて言った。「それでは、だれが救われることができるでしょう。」
26 イエスは彼らをじっと見つめて言われた。「それは人にはできないことですが、神にはどんなことでもできます。」

1、人の努力では天国に入ることはできない
23 節「そこで、イエスは弟子たちに言われた。『まことに、あなたがたに言います。金持ちが天の御国に入るのは難しいことです。』」
イエス様は、金持ち、つまりこの世の富を持つ人、豊かな人が天国に入るのは難しいと語られます。人は罪をもつ限り、天国に入ることはできません。この世のどれほど大きな富や権力をもっていても、人の努力によっては、決して罪を取り除くことはできません。

2、誰が救われるのか
25 節「弟子たちはこれを聞くと、たいへん驚いて言った。『それでは、だれが救われることができるでしょう。』」
弟子たちが驚いたのは、富が与えられるのは神様が祝福されているからと考えていたからです。神様に祝福されている人が天国に入ることができないのであれば、だれが救われることができるのでしょうと、弟子たちは驚きました。しかし「だれが」と考えるということは、救われるべきふさわしい人がいるという間違った考えです。

3、神様が救ってくださる
26 節「イエスは彼らをじっと見つめて言われた。『それは人にはできないことですが、神にはどんなことでもできます。』」
罪とは、神様を不要とし、神様から離れてしまうことです。自ら神様から離れた者が、神様のゆるしなしに神様のところに帰ることはできません。それは人にはできないことです。しかし、神様はどんな罪人をもゆるしてくださいます。そのためにイエス様は身代わりとして十字架にかかられました。これは神様にしかおできになれないことです。救われるためには一切を捨てて、ただ神様を信じるべきです。

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