R2.2.2 主日礼拝

「題」 「惜しみない愛」
聖書の箇所 「ヨハネによる福音書12章1~8節」
(日本聖書協会:口語訳聖書より引用)
12:1 過越の祭の六日まえに、イエスはベタニヤに行かれた。そこは、イエスが死人の中からよみがえらせたラザロのいた所である。
12:2 イエスのためにそこで夕食の用意がされ、マルタは給仕をしていた。イエスと一緒に食卓についていた者のうちに、ラザロも加わっていた。
12:3 その時、マリヤは高価で純粋なナルドの香油一斤を持ってきて、イエスの足にぬり、自分の髪の毛でそれをふいた。すると、香油のかおりが家にいっぱいになった。
12:4
弟子のひとりで、イエスを裏切ろうとしていたイスカリオテのユダが言った、
12:5
「なぜこの香油を三百デナリに売って、貧しい人たちに、施さなかったのか」。
12:6
彼がこう言ったのは、貧しい人たちに対する思いやりがあったからではなく、自分が盗人であり、財布を預かっていて、その中身をごまかしていたからであった。
12:7
イエスは言われた、「この女のするままにさせておきなさい。わたしの葬りの日のために、それをとっておいたのだから。
12:8 貧しい人たちはいつもあなたがたと共にいるが、わたしはいつも共にいるわけではない」。

1、純粋な愛
3節「その時、マリヤは高価で純粋なナルドの香油一斤を持ってきて、イエスの足にぬり、自分の髪の毛でそれをふいた。すると、香油のかおりが家いっぱいになった」。
主は愛する弟ラザロをよみがえらせてくださいました。その感謝と喜びを、マリヤは表明せずにはいられませんでした。それで、自分のもっている最もよいものを献げました。彼女の愛は、ナルドの香油同様、混じりけの無い純粋な愛によるものです。

2、惜しみない愛
4~5節「弟子のひとりで、イエスを裏切ろうとしていたイスカリオテのユダが言った、『なぜこの香油を三百デナリに売って、貧しい人たちに、施さなかったのか』」。
三百デナリは約1年分の給与になります。確かに「なぜ」と思います。しかし真実の愛は、打算的な思いがないものです。愛は決してごまかすことをせず、惜しみなく与えようとします。神様は常にそのような愛でわたしたちを愛してくださいます。

3、主の十字架を証しする愛
7節「イエスは言われた、『この女のするままにさせておきなさい。わたしの葬りの日のために、それをとっておいたのだから」。
ナルドの香油はもしかしたら弟ラザロの葬りのため用意されたものだったかもしれません。そうすると、確かにイエス様の足に塗られた香油は身代わりの十字架を意味しています。マリヤが純粋な心で献げた香油が、イエス様の十字架を証しするため用いられました。

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