H30.5.13主日礼拝

「題」 「両親に仕えるイエス様
聖書の箇所 「ルカによる福音書2章41~52節
(日本聖書協会:口語訳聖書より引用
2:41 さて、イエスの両親は、過越の祭には毎年エルサレムへ上っていた。
2:42 イエスが十二歳になった時も、慣例に従って祭のために上京した。
2:43 ところが、祭が終って帰るとき、少年イエスはエルサレムに居残っておられたが、両親はそれに気づかなかった。
2:44 そして道連れの中にいることと思いこんで、一日路を行ってしまい、それから、親族や知人の中を捜しはじめたが、
2:45 見つからないので、捜しまわりながらエルサレムへ引返した。
2:46 そして三日の後に、イエスが宮の中で教師たちのまん中にすわって、彼らの話を聞いたり質問したりしておられるのを見つけた。
2:47 聞く人々はみな、イエスの賢さやその答に驚嘆していた。
2:48 両親はこれを見て驚き、そして母が彼に言った、「どうしてこんな事をしてくれたのです。ごらんなさい、おとう様もわたしも心配して、あなたを捜していたのです」。
2:49 するとイエスは言われた、「どうしてお捜しになったのですか。わたしが自分の父の家にいるはずのことを、ご存じなかったのですか」。
2:50 しかし、両親はその語られた言葉を悟ることができなかった。
2:51 それからイエスは両親と一緒にナザレに下って行き、彼らにお仕えになった。母はこれらの事をみな心に留めていた。
2:52 イエスはますます知恵が加わり、背たけも伸び、そして神と人から愛された。

1、宮のまん中におられるイエス様
 46節「そして三日の後に、イエスが宮の中で教師たちのまん中にすわって、彼らの話を聞いたり質問したりしておられるのを見つけた」。
イエス様はいつも教会の働きの中心におられるお方です。礼拝の中心、祈りの中心にいつもおられ、わたしたちの願いを聞いてくださり、答えてくださるお方です。礼拝と祈りが生活の中心にあるなら、イエス様が生活の中心で働かれます。

2、父の家におられるイエス様
 49節「するとイエスは言われた、『どうしてお捜しになったのですか。わたしが自分の父の家にいるはずのことを、ご存じなかったのですか』」。
「父の家」は直訳すると、「父のことの中に」です。礼拝や祈りが形だけのものとなるとき、教会は天の父の家でなくなります。礼拝や祈りが、心から神様を呼び求めるものとして献げられるなら、教会は神様の働かれるところとなり、わたしたちは平安と祝福に満たされます。

3、両親に仕えるイエス様
 51節「それからイエスは両親と一緒にナザレに下って行き、彼らにお仕えになった。母はこれらの事をみな心に留めていた」。
教会は家庭や地域に仕えるために立てられています。わたしたちは仕えるための知恵と力をいただくため、礼拝と祈りの生活を送ります。
教会が地域に仕えようと出て行くとき、主もわたしたちと共に家庭に地域に仕えてくださいます。そしてわたしたちが受けた祝福が家庭や地域にもたらされます。

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