H30.1.21オープン・チャーチ

*聖書のお話し(バイブル・メッセージ)
「題」 「命の価値
聖書の箇所 「マタイによる福音書16章24~26節」 (日本聖書協会:口語訳聖書より引用)

16:24 それからイエスは弟子たちに言われた、「だれでもわたしについてきたいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい。
16:25 自分の命を救おうと思う者はそれを失い、わたしのために自分の命を失う者は、それを見いだすであろう。
16:26 たとい人が全世界をもうけても、自分の命を損したら、なんの得になろうか。また、人はどんな代価を払って、その命を買いもどすことができようか。

1、十字架を負う生き方
 24節「だれでもわたしについてきたいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい」。
正しい人生を歩んでいるようで、実はそうではないという場合があります。それは価値観が間違っているからです。
自分を捨て、自分の十字架を負う生き方は、この世の価値観では考えられない生き方かもしれません。しかしイエス様が示される十字架を負う生き方、愛に生きる道こそ、真に輝く生き方なのです。

2、命の価値を見いだすには
 25節「自分の命を救おうと思う者はそれを失い、わたしのために自分の命を失う者は、それを見いだすであろう」。
自分自身を救うことができない、そのような愚かな者をイエス様は愛してくださいます。「自分の力で」という思いを捨てて十字架を仰ぎ見るならば、イエス様の愛に気づき、イエス様に愛されているという、自分の命の価値を見いだすことができます。

3、あなたの命の代価
26節「たとい人が全世界をもうけても、自分の命を損したら、なんの得になろうか。また、人はどんな代価を払って、その命を買いもどすことができようか」。
わたしたちの命は、イエス様が代価として犠牲になるほどに、高価で尊いものとされています。「自分の十字架を負う」とは、イエス様が自分の代価とされているという事実を信じることです。イエス様によって価値ある者、神の子とされる喜びをぜひ信じ受け入れてください。

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