H29.1.15オープン・チャーチ

*聖書のお話し(バイブル・メッセージ)
「題」 「人生の損得勘定」
聖書の箇所 「マタイ16:24~28」 (日本聖書協会:口語訳聖書より引用)
16:24 それからイエスは弟子たちに言われた、「だれでもわたしについてきたいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい。
16:25 自分の命を救おうと思う者はそれを失い、わたしのために自分の命を失う者は、それを見いだすであろう。
16:26 たとい人が全世界をもうけても、自分の命を損したら、なんの得になろうか。また、人はどんな代価を払って、その命を買いもどすことができようか。
16:27 人の子は父の栄光のうちに、御使たちを従えて来るが、その時には、実際のおこないに応じて、それぞれに報いるであろう。
16:28 よく聞いておくがよい、人の子が御国の力をもって来るのを見るまでは、死を味わわない者が、ここに立っている者の中にいる」。

私たち人間というものは、何が正しいか何が間違っているかということより、何が得か何が損か、“損得”に敏感な気がします。何が損で何が得だということがわかると、すぐそちらに自然に流れ従って行きます。そういう人間のことをよくお分かりの主イエスは、大事な人生問題を、損得の観点から話されました。

1、「人は、どれだけの土地が必要か」
土地をただであげると言われ、夢中で歩き、だれよりも広い土地を囲い取ったのですが、あまりに欲張って必死で歩いたため、出発地点に帰るやいなや倒れてそのまま死んでしまった男の話があります。(トルストイ民話集)結局、男が自分のものとして獲得した土地は、彼を葬った場所だけであったというのがそのお話の落ちです。私たちも、得をしたいばかりに人生を駆け抜け、そのあげく「ばったり」倒れてしまうなら、それは大損となります。

2、「本当の得とは」
では、本当に「得」をするためにはどうすればよいのでしょう。それは、「損をして得をすること」であると、主は言われます。
「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。いのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしと福音とのためにいのちを失う者は、それを救うのです。人は、たとい全世界を得ても、いのちを損じたら、何の得がありましょう。自分のいのちを買い戻すためには、人はいったい何を差し出すことができるでしょう。」 (マルコ8:34~37)
主は自分のいのちを救おうとする者は、自分のいのいを失い、自分のいのちを失う者は、いのちを得ることができると言われました。私たちが持つ一番大切なものは「いのち」です。最後は、自分のいのちが大切です。しかし、主イエスは、肉体の命よりも更に大切ないのち「永遠のいのち」、「神が下さる新しい命」のことを言っておられます。真の命(永遠の命)を得る「得」のため、命(地上の限りある命、自己欲の命)を捨てる生き方「損」をするようにと言われているのです。いかがでしょうか。

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