28.9.18オープン・チャーチ

*聖書のお話し(バイブル・メッセージ)
「題」 「心配無用」
聖書の箇所 「マタイ6:31~34」 (日本聖書協会:口語訳聖書より引用)
6:31 だから、何を食べようか、何を飲もうか、あるいは何を着ようかと言って思いわずらうな。
6:32 これらのものはみな、異邦人が切に求めているものである。あなたがたの天の父は、これらのものが、ことごとくあなたがたに必要であることをご存じである。
6:33 まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。
6:34 だから、あすのことを思いわずらうな。あすのことは、あす自身が思いわずらうであろう。一日の苦労は、その日一日だけで十分である。

おおよそこの世に生きて、心配の無い人はありません。次々心配事が起ってくることもあります。しかし、私たちの心配には、必要な心配と不必要な心配があります。必要な心配とは、他者に心を配ること、親切、配慮、思いやり・・などです。しかし、不必要な心配があります。山上の教えで、主イエスは、そのような心配を「止めなさい!」と言われました。それは、どんな心配事でしょうか。

①「衣食の心配」
「何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。」昔も今も、貧しい人たちにとって「衣・食・(住)」の問題は切実な心配です。しかし、主は「心配無用」と言われます。

②「明日の心配」
「あすのための心配は無用です。あすのことは、あすが心配します。労苦は、その日その日に、十分あります。」ここで言われているのは、不要な心配をする人は、大切な存在に対して気づいていないか、心が集中しないため心がバラバラになって思い煩ってしまうのです。では、大切な存在とは何でしょう。

①天の父
「天の父は、それらがことごとく必要であることを御存じである。」主イエスは、空の鳥、野のゆりを例に引き、創造者であり供給者である天の父、生ける神が私たちを顧みられないはずはないと言っておられます。このお方に心を向け、集中し、信頼することです。

②一日一日の労苦
 「労苦はその日その日に、十分あります。」(34) だれにも、その日のための労苦が、しかも十分にあるのだと言われます。人によって仕事、家事、子育て、勉強等々です。しかし、何らかの理由でその日の労苦に集中できないと、明日が心配になります。いつも先を心配している人に限って、その日その日の労苦を後回しにすることがあるかも知れません。まず、私たちを愛して心を砕かれる父なる神を信頼し、祈り、日々の仕事に精一杯労苦します。そうすれば不必要な心配事は無用になり、その分、必要な心配を他者に向けることさえ出来るのです。 日々最善を尽くし、神に祈って全く信頼し、常に他者のために心を用いて生きている人に心配性は無いのです。

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