H27.9.13主日礼拝

*聖書のお話し(バイブル・メッセージ)
「題」 「無くてはならぬもの
聖書の箇所 「ルカ 10:38~42」 (日本聖書協会:口語訳聖書より引用)

10:38 一同が旅を続けているうちに、イエスがある村へはいられた。するとマルタという名の女がイエスを家に迎え入れた。
10:39 この女にマリヤという妹がいたが、主の足もとにすわって、御言に聞き入っていた。
10:40 ところが、マルタは接待のことで忙がしくて心をとりみだし、イエスのところにきて言った、「主よ、妹がわたしだけに接待をさせているのを、なんともお思いになりませんか。わたしの手伝いをするように妹におっしゃってください」。
10:41 主は答えて言われた、「マルタよ、マルタよ、あなたは多くのことに心を配って思いわずらっている。 10:42 しかし、無くてならぬものは多くはない。いや、一つだけである。マリヤはその良い方を選んだのだ。そしてそれは、彼女から取り去ってはならないものである」。

 ベタニヤ村のマルタとマリヤの家に愛する主イエスがおいでくださり、彼らはどんなに喜んだことでしょうか。精一杯のおもてなしをしたいと心から願いました。ところが、喜んで主をお迎えした家庭の中にどうしたはずみか、つぶやきが起り、混乱と非難が生まれ、その非難がイエス様まで及んでしまうということが起こりました。私たちの心の中には善い志があります。それは素晴らしいことです。にもかかわらず、その善い志がどこかで変質し、つぶやきになり、不平不満、批判までになってしまうのは、いったいどうしたことでしょう。これは、私たち、だれでも起こり得ることです。

1、マルタの混乱(40)
 ここに混乱があります。イエス様が来られたときマリヤは台所仕事を離れイエス様のお話を聞くことを選んだので、マルタ一人が台所に戻ることになりました。一人できりもりしているうち、あまりの忙しさのためにいらだって来て、思いが狭められ、自己憐憫の感情が高まってきて、たまらなくなり、主の前にぶちまけてしまいました。マルタは、自分は主のために善いこと正しいことをしているのだという思いが非常に強く、その思いの中心に自分(善い思いと善い奉仕)が居座り、主とそのみこころを閉め出していたのです。決して忙しいからだけでありません。マルタの混乱の本質はここにあります。

2、優先順位の問題(42)
 優先順位を大切にしないと私たちの生活や奉仕に混乱が起って来ます。私たちの優先順位の一番に来るものは主に聴くことです。主に聴いて、主のみことばを心の中心に置き、みことばに立つことです。何が起こって来ても、心と思いの中心、生活の中心がみことばによって定まっていれば、どんなことが起こっても大丈夫なのです。しかし、みことば(主のみこころへの確信)が無ければその度揺れて状況に支配され、また、間違った確信や感情に支配され大きな混乱が起きることになります。みことばを、優先順位の第1に置く生活は、私たちに確信を与え、こころと生活の心棒を作ります。いらいらしてしまう、忙しい煩雑な生活を整理しいのちを与えます。これを奪われてはなりません。

無くてならぬものは多くはない。いや、一つだけである。 ルカ10:42

プログラム 時間 音声
前奏 0:34
賛美:天地(あめつち)こぞりて 0:43
交読:28 詩篇91篇 2:27
主の祈り 0:57
使徒信条 1:05
賛美20: 主の真実はくしきかな 3:41
聖書 ルカ10:38~42 1:05
賛美:私たちの未来 4:50
説教:無くてはならぬもの

10:00

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 9:07

 

賛美202:一度死にし我をも 4:28
感謝の祈り 1:17
頌栄63: 父御子御霊の 1:38

 

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