H27.5.17 第4回オープン・チャーチ

*聖書のお話し(バイブル・メッセージ)
「題」 「因果応報論からの救い」
聖書の箇所 「ヨハネ9:1~3」 (日本聖書協会:口語訳聖書より引用)

9:1 イエスが道をとおっておられるとき、生れつきの盲人を見られた。
9:2 弟子たちはイエスに尋ねて言った、「先生、この人が生れつき盲人なのは、だれが罪を犯したためですか。本人ですか、それともその両親ですか」。
9:3 イエスは答えられた、「本人が罪を犯したのでもなく、また、その両親が犯したのでもない。ただ神のみわざが、彼の上に現れるためである。

 「この人が、こんなことになったのは、だれが罪を犯したためですか。本人ですか、それともその両親(先祖)ですか」 言われなき苦しみを抱える人々の前で、このようなやりとりが傍観者(他人)によって今日まで繰り返されて来ました。「生まれつき」ということは自分で選び取ったことではありません。この「生まれ」に関することほど不公平に感じることはありません。ここに登場する生まれつきの目の不自由な人は「なぜ私がこんな苦しみにあわなければならないのか」という思いをいつも持っていたことでしょう。

1、すべての苦しみや不幸は罪の結果
 加えて、当時の人たちは、その人が負う苦しみや不幸は罪の結果だと考えました。昔から多くの宗教が「因果応報」を説き、そのような不幸は、本人もしくは先祖の罪が原因となって、障害という結果が生じたのだと教えてきました。一種の運命論です。それによって障害を持った人々や病人は、肉体的な不便や苦痛に苦しむだけでなく精神的な負い目、いわれなき劣等感に苦しんできました。

2、イエスの解決
 イエスは、きっぱりと「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである」。と答えられました。
①因果応報論の明確な否定
 イエスは、理由のわからない苦しみや不幸と思われることを、過去にさかのぼって、まして、あなたや先祖の罪の結果だとは決して言われません。
②過去ではなく未来のために
 イエスは、「これから、この人の人生に神のわざが現されようとしている。そのために今があるのだ」と言われるのです。人間の不幸をその人の去と結びつけ、今の不幸の原因を過去の罪に求める後ろ向きの考えを断ち切って、この人が神の働きを担う栄光の器であると前向きの希望の評価を与えられました。すべてのことに意味と目的があり、その人を通して神の栄光が現されるためです。私たちには、つらく不幸だとしか思えないことすら、「そのことを通して、わたしのみわざをあらわすのだよ」と約束してくださる主イエスに信頼し、どんな中でも希望をもって、新たな生き方をしていくのです。

人が罪を犯したのでもなく、また、その両親が罪を犯したのでもない。ただ神のみわざが、彼の上にあらわれるためである。  ヨハネ9:3

プログラム 時間 音声
Ⅰ、賛美歌を歌おう    
 (1)♪生ける限り主を 3:41
 (2)♪何だか素晴らしいことが

3:55

 (3)主の愛が今

4:19

 (4)私の信仰物語 5:05
 (5)主の祈り 0:56

Ⅱ、聖書のお話し

ヨハネ9:1~3

0:32

因果応報論からの救い

10:00

10:00

10:00

12:16

 (2)賛美358: 神なく望みなく 3:19
(3)感謝献金 1:29
 (4)賛美165:栄光イエスにあれ
 (5)祝福の祈り
1:23

 

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