H26.3.2主日礼拝

*聖書のお話し(バイブル・メッセージ)
「題」 「真の教師であるイエス」
聖書の箇所  「マタイ 5:1~12」
 (日本聖書協会:口語訳聖書より引用)
5:1 イエスはこの群衆を見て、山に登り、座につかれると、弟子たちがみもとに近寄ってきた。
5:2 そこで、イエスは口を開き、彼らに教えて言われた。
5:3 「こころの貧しい人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである。
5:4 悲しんでいる人たちは、さいわいである、彼らは慰められるであろう。
5:5 柔和な人たちは、さいわいである、彼らは地を受けつぐであろう。
5:6 義に飢えかわいている人たちは、さいわいである、彼らは飽き足りるようになるであろう。
5:7 あわれみ深い人たちは、さいわいである、彼らはあわれみを受けるであろう。
5:8 心の清い人たちは、さいわいである、彼らは神を見るであろう。
5:9 平和をつくり出す人たちは、さいわいである、彼らは神の子と呼ばれるであろう。
5:10 義のために迫害されてきた人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである。
5:11 わたしのために人々があなたがたをののしり、また迫害し、あなたがたに対し偽って様々の悪口を言う時には、あなたがたは、さいわいである。
5:12 喜び、よろこべ、天においてあなたがたの受ける報いは大きい。あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。

 神の国について教えた「真の教師」としてのイエスの姿に注目します。“教師”とはどのような人で、どんな働きをするのでしょうか。しかも、真の教師とは・・?

 1、幸いなるかな
 マタイ5章~7章には主の山上の教えが記され、その教えは「幸いなるかな」(マタイ5:3)で始まります。これは、バプテスマのヨハネの説教とは全く違いました。ヨハネは、独特な形相で、その口からは「まむしの末たちよ!」と、選民ユダヤ人に鋭く罪の悔い改めを迫りました。ところが、イエスは「幸いなるかな、心貧しき者よ」と語り出されたのです。「心の貧しき者」とは、寄る辺の無い、本当に頼るものも人もいなく、自分の貧しさ弱さを痛烈に感じている人、自分の失敗、挫折、罪深さ、そのすべての重荷を負っている人のことです。キリストの教えは、バプテスマのヨハネの教えとは全く逆で、慰めと祝福に満ちています。

2、わざわいなるかな
 マタイ23章主の教えには、罪の悔い改めに対する厳しいことばは、無いのでしょうか。姦淫の現行犯で捕えられた女が、石打の刑で殺されそうになったとき、(ヨハネ8:3~11)主は、むしろ罪を責める宗教家たちを問い、罪を犯した女を 「わたしも罪に定めない。」と言われました。主は、私たちの罪に目をつぶられるのでしょうか。否!貧しい者たちに「幸いなるかな」と語りかけられた主は、他人の罪を責めたて、立派な宗教家の顔をしている者たちの心の罪深さを暴かれました。マタイ23章には、その彼らに向かって主の「わざわいなるかな」が8回くり返されます。(幸いなるかなも8回)「幸いなるかな」と言われたイエスは、 「わざわいなるかな」とも言って、やがて、そのわざわいである私たちの罪を背負って、自ら十字架で罪のさばきを受け、いのちの道を私たちに備えてくださいました。この方は、神の国に入る道を教えるだけでなく、私たちを神の国に入る者としてくださいました。それゆえ、真の教師であるイエスは、私たちの罪を赦し、私たちを本当に幸いな者にしてくださるお方なのです。主イエスこそ、真の教師です。
 

こころの貧しい人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである。  マタイ5:3

プログラム 時間 音声
前奏 0:42

賛美:天地(あめつち)こぞりて

0:45

交読7: 詩篇23篇 0:56

主の祈り 0:53

使徒信条 1:08

賛美15: われらの御神は 2:48

聖書 マタイ 5:1~12 1:24

賛美257: キリストは生きておられる 3:23

説教:
真の教師であるイエス

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 8:56

聖餐式 (賛美49 しみも咎も) 3:06

賛美382: 心から願うのは 3:52

頌栄63: 父御子御霊の 1:30

 

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