*聖書のお話し(バイブル・メッセージ)
「題」 「我はイエス・キリストを信ず」
聖書の箇所 「マタイ16:13~20、ヨハネ20:30~31」 (日本聖書協会:口語訳聖書より引用)
16:13 イエスがピリポ・カイザリヤの地方に行かれたとき、弟子たちに尋ねて言われた、「人々は人の子をだれと言っているか」。
16:14 彼らは言った、「ある人々はバプテスマのヨハネだと言っています。しかし、ほかの人たちは、エリヤだと言い、また、エレミヤあるいは預言者のひとりだ、と言っている者もあります」。
16:15 そこでイエスは彼らに言われた、「それでは、あなたがたはわたしをだれと言うか」。
16:16 シモン・ペテロが答えて言った、「あなたこそ、生ける神の子キリストです」。
16:17 すると、イエスは彼にむかって言われた、「バルヨナ・シモン、あなたはさいわいである。あなたにこの事をあらわしたのは、血肉ではなく、天にいますわたしの父である。
16:18 そこで、わたしもあなたに言う。あなたはペテロである。そして、わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てよう。黄泉の力もそれに打ち勝つことはない。
16:19 わたしは、あなたに天国のかぎを授けよう。そして、あなたが地上でつなぐことは、天でもつながれ、あなたが地上で解くことは天でも解かれるであろう」。
16:20 そのとき、イエスは、自分がキリストであることをだれにも言ってはいけないと、弟子たちを戒められた。
20:30 イエスは、この書に書かれていないしるしを、ほかにも多く、弟子たちの前で行われた。
20:31 しかし、これらのことを書いたのは、あなたがたがイエスは神の子キリストであると信じるためであり、また、そう信じて、イエスの名によって命を得るためである。
「イエス・キリストを信ず」との告白はどのような意味を持っているのでしょう。
1、キリスト教は「キリスト」が中心
神をF天地の造り主しと告白するとき、偶像を拝んだり、自然や霊を拝む宗教でなく、天地万物の造り主、唯一の神を信じる一神教の立場に立ちます。さらに、 「我は、イエス・キリストを信ず」と告白するとき、今度は、ユダヤ教やイスラム教とも異なり、キリスト教独自の告白となるのです。
「我はイエス・キリストを信ず」と告白するのはキリスト教だけです。新約聖書全体がこのことを主張し弁明するために書かれました。
「しかし、これらのことを書いたのは、あなたがたが「イエスは神の子キリストであると信じるため」であり、また、そう信じて、イエスの名によって命を得るためである。」(ヨハネ20:31)ですから、使徒信条は父なる神よりも聖霊なる神よりも教会よりもイエス・キリストについて詳しく語っているのです。
2、イエスをキリストと信じる(マタイ16:16)
「イエス」とはこのお方の固有名詞で、「神は救い」を意味するヘブル語ヨシュアのギリシャ語名です。イエスという名前を用いることは、彼が歴史上の人物であることを言います。当時の人々は、この方を 「ナザレのイエス」 と呼びました。一方、 「キリスト」 は人の名前でなく、特別な働きをする人の称号(呼び名)で、「油注がれたもの」という意味です。私たちが「イエス・キリスト」と告白する時、あの歴史上のナザレのイエスという人物が、民が長<待ち望んでいた救い主キリストであることを告白するのです。
3、キリストを主と信じ従う
初代のクリスチャンたちは、イエスがキリストであることをはっきり意識して告白し、礼拝し、そして、キリストを主と告白してキリストに従いました。
「キリストは、死んだ人にとっても、生きている人にとっても、その主となるために、死んで、また生きられたのです。」ローマ14:9
プログラム | 時間 | 音声 |
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前奏 | 0:44 | |
賛美:天地(あめつち)こぞりて | 0:44 | |
交読3: 詩篇16篇 | 1:55 | |
主の祈り | 0:56 | |
使徒信条 | 1:10 | |
賛美7: 主のみいつと | 2:45 | |
聖書 マタイ16:13~20、ヨハネ20:30~31 | 2:16 | |
賛美99: 馬ぶねの中に | 3:13 | |
説教:我はイエス・キリストを信ず | 10:02
10:01 10:01 10:08 10:00 10:00 |
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賛美201: イエスはわがいのち | 3:48 | |
頌栄63: 父御子御霊の | 1:47 |