H26.2.2主日礼拝

*聖書のお話し(バイブル・メッセージ)
「題」 「我は独り子の神を信ず」
聖書の箇所  「ヨハネ1:1~2」
 (日本聖書協会:口語訳聖書より引用)
1:1 初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。
1:2 この言は初めに神と共にあった。

1、初めにことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。(1:1~2)
 「初めに」は、天地万物の創造以前の初めで、 「永遠」です。 「ことば」(ロゴス)は、キリストを指します。 「神と共にあった」は、キリストは父なる神のかたわらにいます子なる神であり、この方は「神」であると言います。この方は、父の独り子で父なる神と同質の子です。神はすべての被造物・人間を造られましたが、被造物と神とは質を異にします。しかし、父の子としであるキリストは神と同質です。神がキリストを創造したのではなく、キリストは初めから神とともにあり、神と同質の存在であり、さらに、キリストがこの世界すべてを造られたとことをヨハネは言っています。

2、変貌山の出来事(マルコ9:2~8)
 この出来事は何を伝えているのでしょうか。イエスは3人の弟子たちを連れて高い山に登られ、イエスは栄光の姿に変貌します。そこにモーセが現れ、エリヤが現れ、イエスと一緒に話しています。興奮気味にペテロは「先生、あなたのために1つ、モーセのために1つ、エリヤのために1つ幕屋を造り、礼拝します。」と言いました。その時、天からの声が聞こえました。
「これは、わたしの愛する子である。彼の言う事を聞きなさい。」(7)
ここでペテロは認識しなければなりませんでした。イエスだけが神の子であって、モーセではない、エリヤでもない。「彼」イエスの言われることだけに聞きなさい・・ということです。 6日前には、イエスに向かって
「あなたこそは、キリス卜です」(マルコ8・29)
と告白したペテロでさえも、いつの間にか、イエスをモーセやエリヤと同じような偉大な預言者と同列にしていました。天の声は、主イエスの絶対性、単独性をペテロに再認識させたのです。主イエスを預言者のー人にしてはいけない。この者だけがわたしの「愛するひとり子」だ。
このイエスに聞き、イエスだけを見なさい。

初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。 ヨハネ1:1
プログラム 時間 音声
前奏 0:43
賛美:天地(あめつち)こぞりて

0:45

交読4: 詩篇18篇 2:52
主の祈り 0:56
使徒信条 1:13
賛美8: 七日の旅路 2:51
聖書 ヨハネ1:1~2 0:15
賛美257: キリストは生きておられる 3:25
説教:我は独り子の神を信ず

10:08

10:05

10:05

10:17

10:07

 8:45






聖餐式 (賛美49:しみも咎も) 2:58
賛美203: ああイエス君こよなき友よ 2:36
感謝の祈り 1:50
頌栄63: 父御子御霊の 1:31

 

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