H26.1.12主日礼拝

*聖書のお話し(バイブル・メッセージ)
「題」 「我は父なる神を信ず」
聖書の箇所  「マラキ1:6 、ヨハネ3:16」 
(日本聖書協会:口語訳聖書より引用)
マラキ書
1:6 「子はその父を敬い、しもべはその主人を敬う。それでわたしがもし父であるならば、あなたがたのわたしを敬う事実が、どこにあるか。わたしがもし主人であるならば、わたしを恐れる事実が、どこにあるか。わたしの名を侮る祭司たちよ、と万軍の主はあなたがたに言われる。ところがあなたがたは『われわれはどんなふうにあなたの名を侮ったか』と言い、

ヨハネの福音書
3:16 神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。

 「天地の造り主なる神」、「全能の神」というとき、そのような神は私たち人間にとって、とても近寄りがたいお方です。神と人間の間に連続したつながりはなく、むしろ隔絶された存在です。しかし、にもかかわらず、その方が私たちの「父」であるとの告白は、キリスト教に独特なことです。

1、イエス・キリストの父
 実は神を「父」と呼べるのはただお一人だけ、神の独り子イエス・キリストです。「父なる神」とは、キリストの父である神を意味します。 
「わたしたちの主イエス・キリストの父なる神」(2コリント1・3)
主イエスは神のことを「わたしの父」(マタイ12・50)と呼ばれました。そのキリストが、私たちに天地万物を創造された全能の神を、「天にまします、我らの父よ」と、祈るように教えてくださったのです。御子キリストを通して、私たちは 「我は天地の造り主、全能の、父なる神を信ず」と告白するのです。「父」と告白する神にどのような意味合いがあるのでしょう。

2、父の権威
 私たちが「父なる神」を告白するとき、このお方の父としての権威を認めなければなりません、私たちは、父なる神に対する尊敬の思い、畏敬の念を抱いているでしょうか。マラキ書では、神と人との関係が父と子として描かれ、父の権威を尊ばない子供をなげく父の思いが記されています。
「子は父を敬い、しもべはその主人を敬う。もし、わたしが父であるなら、どこに、わたしへの尊敬があるのか。もし、わたしが主人であるなら、どこにわたしへのおそれがあるのか。」(マラキ1・6)
「父」と呼びながら尊敬一つ払わない子供の態度を父は嘆いているのです。私たちはどうでしょうか。

3、父の愛
 罪過と罪の中に死んでいた私たちのために神はご自身のいのちを、御子を通して私たちに与えてくださいました。(ヨハネ3・16)わたしの弱さに寄り添い、すべての罪を赦して下さったその目的は、わたしのようなものをも、天地の神を御子と同様に「お父さん」と呼ぶことができるようになるためです。
 

神はその一人子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。  ヨハネ3:16
プログラム 時間 音声
前奏 0:48

賛美:天地(あめつち)こぞりて

0:44

交読2: 詩篇8篇 1:26

主の祈り 0:57

使徒信条 1:13

賛美4: 子羊をば 3:06

聖書 マラキ1:6 、ヨハネ3:16 1:09

賛美272: 救い主の愛と 3:40

説教:我は父なる神を信ず

10:02

10:01

10:01

10:08

10:00

 6:14

賛美88: 独りの御子を 3:10

感謝の祈り 2:39

頌栄63: 父御子御霊の 1:40

 

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