H25.4.7 主日礼拝

*聖書のお話し(バイブル・メッセージ)
「題」 「霊の目を開かれて」
聖書の箇所  ヨハネ 20: 24~29」
 (日本聖書協会:口語訳聖書より引用)
20:24 十二弟子のひとりで、デドモと呼ばれているトマスは、イエスがこられたとき、彼らと一緒にいなかった。
20:25  ほかの弟子たちが、彼に「わたしたちは主にお目にかかった」と言うと、トマスは彼らに言った、「わたしは、その手に釘あとを見、わたしの指をその釘あとにさし入れ、また、わたしの手をそのわきにさし入れてみなければ、決して信じない」。
20:26 八日ののち、イエスの弟子たちはまた家の内におり、トマスも一緒にいた。戸はみな閉ざされていたが、イエスがはいってこられ、中に立って「安かれ」と言われた。
20:27 それからトマスに言われた、「あなたの指をここにつけて、わたしの手を見なさい。手をのばしてわたしのわきにさし入れてみなさい。信じない者にならないで、信じる者になりなさい」。
20:28 トマスはイエスに答えて言った、「わが主よ、わが神よ」。 20:29イエスは彼に言われた、「あなたはわたしを見たので信じたのか。見ないで信ずる者は、さいわいである」。

 今日の箇所は、主の日に復活の主とお会いできたトマスの物語です。

1、トマスの非常に頑固な疑い(25)
 非常に強い懐疑心です。他の弟子たちが「私たちは主におめにかかった」と喜びに溢れ証しましたが、トマスは「わたしは、決して信じない」とはねつけます。トマスは、仲間であっても簡単に「そういうことにしておく」と付和雷同せず、自分自身をしっかり持つ、自分に忠実な男でした。「トマスも一緒にいた」 は大切です。不信のトマスは孤独でした。しかし、気まずい弟子たちの交わりから離れず、弟子たちもそのようなトマスを集まりの中に加え、皆が一つになっているのです。これが、教会です。教会の交わりです。

2、そのようなトマスが、「わが主よ、わが神よ」とひれ伏しました。(28)
 本当にイエス様が現れて下さるともう一も二もなく「わが主、わが神よ」と一直線に復活信仰に入りました。主はトマスが言った言葉を一つ一つ裏返すように語られました。「信じない者にならないで」と言われたのは「決して信じない」と言ったからです。疑念と頑なに閉じこもっていたトマスを主はすべてご存じで、信じることができるよう現れてくださった。トマスはそれだけで「わが主、わが神よ」とひれ伏さずにはおれませんでした。これはトマスの優れた信仰告白です。

3、「見ないで信ずる者は、幸いである」(29)
 トマスは、確かに見て信じました。他の10人の弟子たちも同じで、彼らも復活の主を見て信じたのです。トマスや最初の使徒たちは、主の目撃証人となる人たちです。「神はイエスを三日目に甦られ、私たちを証人としてあらかじめ選ばれた者たちに現れるようにして下さった。」(10:40,41) 彼らは見て信じたキリストの証人であり、その証言の確かさがあるからこそ、後のクリスチャンたちは、聞いただけで「見ないで」信じることが出来るのです。見て信じる幸いと、見ないで信じる幸いがあります。私たちは後者です。1ペテロ1,8,9
 

信じない者にならないで、信じる者になりなさい。  ヨハネ20:27
プログラム 時間 音声
前奏 0:35
賛美:天地(あめつち)こぞりて 0:47
交読14: 詩篇37篇 1:16
主の祈り 0:55
使徒信条 1:08
賛美24: 聖なるわれらの主 2:36
聖書 ヨハネ 20: 24~29 1:18
賛美356:目には見えねども 4:23
説教:信仰への招き

10:01

10:00

10:02

10:01

 9:16

正餐式:しみも咎も 3:29
賛美282:見ゆるところによらず 2:36
頌栄63: 父御子御霊の 1:39

 

 

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