H25.3.31 主日礼拝 (復活日)

*聖書のお話し(バイブル・メッセージ)
「題」 「霊の目を開かれて」
聖書の箇所  ルカ 24 : 13~32」
 (日本聖書協会:口語訳聖書より引用)
24:13 この日、ふたりの弟子が、エルサレムから七マイルばかり離れたエマオという村へ行きながら、
24:14
このいっさいの出来事について互に語り合っていた。
24:15 語り合い論じ合っていると、イエスご自身が近づいてきて、彼らと一緒に歩いて行かれた。
24:16
しかし、彼らの目がさえぎられて、イエスを認めることができなかった。
24:17
イエスは彼らに言われた、「歩きながら互に語り合っているその話は、なんのことなのか」。彼らは悲しそうな顔をして立ちどまった。
24:18
そのひとりのクレオパという者が、答えて言った、「あなたはエルサレムに泊まっていながら、あなただけが、この都でこのごろ起ったことをご存じないのですか」。
24:19
「それは、どんなことか」と言われると、彼らは言った、「ナザレのイエスのことです。あのかたは、神とすべての民衆との前で、わざにも言葉にも力ある預言者でしたが、
24:20 祭司長たちや役人たちが、死刑に処するために引き渡し、十字架につけたのです。
24:21 わたしたちは、イスラエルを救うのはこの人であろうと、望みをかけていました。しかもその上に、この事が起ってから、きょうが三日目なのです。
24:22 ところが、わたしたちの仲間である数人の女が、わたしたちを驚かせました。というのは、彼らが朝早く墓に行きますと、
24:23
イエスのからだが見当らないので、帰ってきましたが、そのとき御使が現れて、『イエスは生きておられる』と告げたと申すのです。
24:24 それで、わたしたちの仲間が数人、墓に行って見ますと、果して女たちが言ったとおりで、イエスは見当りませんでした」。
24:25
そこでイエスが言われた、「ああ、愚かで心のにぶいため、預言者たちが説いたすべての事を信じられない者たちよ。
24:26 キリストは必ず、これらの苦難を受けて、その栄光に入るはずではなかったのか」。
24:27
こう言って、モーセやすべての預言者からはじめて、聖書全体にわたり、ご自身についてしるしてある事どもを、説きあかされた。
24:28
それから、彼らは行こうとしていた村に近づいたが、イエスがなお先へ進み行かれる様子であった。
24:29
そこで、しいて引き止めて言った、「わたしたちと一緒にお泊まり下さい。もう夕暮になっており、日もはや傾いています」。イエスは、彼らと共に泊まるために、家にはいられた。
24:30 一緒に食卓につかれたとき、パンを取り、祝福してさき、彼らに渡しておられるうちに、
24:31 彼らの目が開けて、それがイエスであることがわかった。すると、み姿が見えなくなった。
24:32 彼らは互に言った、「道々お話しになったとき、また聖書を説き明してくださったとき、お互の心が内に燃えたではないか」。

 キリスト復活の知らせを聞いて、大喜びするのでなく不信と不安と戸惑いの中に置かれた弟子たちの姿を聖書は正直にありのまま記します。復活の日曜の午後、2人の弟子がエルサレムからエマオに下る途上、一人の人が近づいて聖書から説き起こしてイエスの十字架と復活を語ってくれました。エマオが近くなり、弟子たちは「どうぞ、一緒にお泊り下さい」と強いて願いました。その夕
べの食卓のパン裂きと祈りの姿に彼らの目が開かれ、その方が復活の主であると分かりました。その瞬間、主は見えなくなられました。2人は喜びに満たされ、キリスト復活の知らせを持ってエルサレムに引き返して行ったのです。

1、復活の主を見るということ
 歴史の中で起こった確かな出来事として数々の確かな証拠と共にキリストの復活が伝えられています。しかし、現代は伝えられた事実に基づき、信仰によってキリストの復活を知るのです。「信仰」は目に見えない確かなものを捕える大切な神の手段です。(へブル11:1)

2、弟子たちは、共に歩まれた主がわかりませんでした。
 彼らのこころの目がふさがれていたのです。(16) 失望と落胆(21)、不信、罪と汚れ、傲慢が潜むこころは主を見ることはできません。(マタイ5:6)

3、こころの目が開かれ、復活の主を見るため
①主の語りかけを聞く
 みことばの聖霊による解き明かしによって、みことばが開かれます。これが「心が静かに燃える経験」です。(32)
②主との交わりを願う
 彼らは「強いて」主に願って一緒に泊まってもらいました。主との親しい交わりの中で心の目が開かれてきます。  
③主の弟子たちが共に集まる
 二人、共に歩む中に主は近づいていかれたのです。主の復活は、常に弟子たちが集まっているところに現されました。今日も、私
たちが主にあって集まるところに復活の主がおられるのです。(マタイ18:20)  

*トマスは一緒にいなかった。トマスも一緒にいた。
●主が復活し、生きておられることを伝えに行く。
主が生きておられることを知る体験は、そのことを何としても伝えたいとの伝道に駆り立てる。

彼らの目が開けて、それがイエスであることがわかった。 ルカ24:31
プログラム 時間 音声
前奏 0:30
賛美:天地(あめつち)こぞりて 0:45
交読3: 詩篇16篇 1:51
主の祈り 0:55
賛美22: 御神の愛をば 2:38
聖書 ルカ24 : 13~32 3:53
賛美123:救いの主は 1:58
説教:霊の目を開かれて

10:04

10:03

10:04

10:02

12:18

賛美127:墓の中に 2:47
感謝の祈り(小河兄) 1:03
頌栄63: 父御子御霊の 1:29

 

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