H25.2.17 主日礼拝

*聖書のお話し(バイブル・メッセージ)
「題」 「神に喜ばれる献げ物」
聖書の箇所  「ルカ22:14~23」
 (日本聖書協会:口語訳聖書より引用) 
22:14 時間になったので、イエスは食卓につかれ、使徒たちも共に席についた。
22:15 イエスは彼らに言われた、「わたしは苦しみを受ける前に、あなたがたとこの過越の食事をしようと、切に望んでいた。
22:16 あなたがたに言って置くが、神の国で過越が成就する時までは、わたしは二度と、この過越の食事をすることはない」。
22:17 そして杯を取り、感謝して言われた、「これを取って、互に分けて飲め。
22:18 あなたがたに言っておくが、今からのち神の国が来るまでは、わたしはぶどうの実から造ったものを、いっさい飲まない」。
22:19 またパンを取り、感謝してこれをさき、弟子たちに与えて言われた、「これは、あなたがたのために与えるわたしのからだである。わたしを記念するため、このように行いなさい」。
22:20 食事ののち、杯も同じ様にして言われた、「この杯は、あなたがたのために流すわたしの血で立てられる新しい契約である。
22:21 しかし、そこに、わたしを裏切る者が、わたしと一緒に食卓に手を置いている。22:22人の子は定められたとおりに、去って行く。しかし人の子を裏切るその人は、わざわいである」。
22:23 弟子たちは、自分たちのうちのだれが、そんな事をしようとしているのだろうと、互に論じはじめた。

 ユダヤの過ぎ越しの祭りは、かつで歴史の中の民族の救いの出来事(出エジプト)を記念するものです。弟子だちとこの食事を切に願われたイエスは、ご自分の十字架における受難の死がどういう意味をもっているのか明らかにされました。

1、パンをとって(19)
 過ぎ越しでは「パンを取り、みんなの前で神に感謝し、それをさいて食べました。」(使徒27:35)イエスは一つのパンを裂き、それを弟子たちに分け与えられました。それは、そのパンを食する者たちの一体性を意味したのです。 「パンが一つであるから、わたしたちは多くいても、一つのからだなのである。みんなの者が一つのパンを共にいただくからである。」(1コリント10:17)月の始めごとに私たちが与る聖餐のパンも、キリストの体に与ることで互いが一体であることを確認するのです。また、 「私は命のパンである」(ヨハネ6:48、51)と言われ、今も生きて命のパンとなって私たちを養われる主イエスと一つになることでもあります。

2、私の血による新しい契約(20)
 パンの後、杯を取られイエスは 「この杯は、あなたがたのために流すわたしの血で立てられる新しい契約である」と言われました。昔の契約は、契約を結寒両者に血が注がれ(契約の血・この契約を破る者は血をもって償う)厳粛な契約がなされたのです。しかし、新しい契約は、イエスだけの一方的な恵みによる契約です。(神との契約を守りきれない罪人に対して特別な契約が結ばれた)それは、イエスが血を流されることにより、私たちは恵みだけに与るという契約です。さらに、この“新契約”に与る者は、神の律法が各自のこ二ろに刻まれ、神との自由な交わりの中に生かされるのです。神は、イエスの十字架の上に流された血に与る私たちを、このような新しい恵みの契約の中に招き入れてくださいます。主が、その食卓の中に与えられた意味を新たにし、ふさわしく聖餐に与り、その恵みを豊かにされましょう。

これは あなたがたのために与える わたしの体である。  ルカ22:19
プログラム 時間 音声
前奏 0:27

賛美:天地(あめつち)こぞりて 0:46

交読8: 詩篇24篇 1:18

主の祈り 0:51

賛美15: われらの御神は 2:17

聖書 ルカ22章14~23節 2:22

賛美229:千歳の岩よ 1:49

説教:晩餐の恵み

10:00

10:01

10:01

10:01

 9:58

15:00

賛美233: 驚くばかりの 2:21

頌栄63: 父御子御霊の 1:36

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