R8.6.21 父の日主日礼拝

題: 「父の王位」
聖書の箇所 「ルカの福音書1章26~33節」(新107頁)
※聖書:新改訳2017©2017 新日本聖書刊行会
26 さて、その六か月目に、御使いガブリエルが神から遣わされて、ガリラヤのナザレという町の一人の処女のところに来た。
27 この処女は、ダビデの家系のヨセフという人のいいなずけで、名をマリアといった。
28 御使いは入って来ると、マリアに言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたとともにおられます。」
29 しかし、マリアはこのことばにひどく戸惑って、これはいったい何のあいさつかと考え込んだ。
30 すると、御使いは彼女に言った。「恐れることはありません、マリア。あなたは神から恵みを受けたのです。
31 見なさい。あなたは身ごもって、男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。
32 その子は大いなる者となり、いと高き方の子と呼ばれます。また神である主は、彼にその父ダビデの王位をお与えになります。
33 彼はとこしえにヤコブの家を治め、その支配に終わりはありません。」
34 マリアは御使いに言った。「どうしてそのようなことが起こるのでしょう。私は男の人を知りませんのに。」

受胎告知と呼ばれる今日の場面ですが、ガブリエルは、子供の誕生だけを告知した訳ではありません。その子を通して、ダビデへの約束(Ⅱサムエル記7章11-16節)が成就されるという報せもまた、大切な内容でした。ガブリエルは、幼子が父ダビデの王座を継承すると予告します。これはどういう意味なのでしょうか。

1,「父ダビデ」という呼びかけは、本来王位継承権を持つ正当な末裔だけが許される言葉です。しかし、ダビデ王の時代から1000年近く経ち、人間の目には正当な継承者が誰かは判らなくなっていました。そんな中、まさか正当な王位継承者が、文字通り救い主としてやってくるなんて誰が思うでしょうか。故にこの告知は、誰でも聞けば、「何をもってダビデの王位が継承されるのか」を深く考えてしまう内容だったのです。しかし、ガブリエルの告知は想像以上に明確でした。何故なら、これからマリアが嫁ぐヨセフが、正にその王位継承者その人だったからです(マタイ1章1-16節)。

2,ガブリエルは終始、想像以上に言葉通りの意味で告知を行っているのですが、ザカリヤ含め、人間側が素直にそれを受け取りません。「主があなたと共におられる」と告知された時も、マリアは、意味を測りかねて考えこんでしまいました。「まさか、本当に主がここにおられるはずはない」という思いから、これが意図の見えない挨拶だと勘違いしてしまったのです。しかしガブリエルも、それを遣わした神様も、受肉されるイエス様の霊が既に彼女のお腹に宿っていたので、「神が貴方に共に居る」と表現しただけでした。ただ人間だけが、それを何かの比喩だと勘違いしたのです。

3,神様は、私たちが無意識に除外する方法ですらも、約束や祈りを成就される方です。たとえ私たちが「言葉通りには叶うまい」と思い祈ったとしても、それを文字通り即座に叶える道も当然のように選択肢に入れ、どう応答するか考えるのが神様という方です。神様の見られる選択肢は、私たちが思う以上に広いのです。

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