題: 「もはや夜がない」
聖書の箇所 「 ヨハネの黙示録 22章1~5節」(新約P.518)
※聖書:新改訳2017©2017 新日本聖書刊行会
1 御使いはまた、水晶のように輝く、いのちの水の川を私に見せた。川は神と子羊の御座から出て、
2 都の大通りの中央を流れていた。こちら側にも、あちら側にも、十二の実をならせるいのちの木があって、毎月一つの実を結んでいた。その木の葉は諸国の民を癒やした。
3 もはや、のろわれるものは何もない。神と子羊の御座が都の中にあり、神のしもべたちは神に仕え、
4 御顔を仰ぎ見る。また、彼らの額には神の御名が記されている。
5 もはや夜がない。神である主が彼らを照らされるので、ともしびの光も太陽の光もいらない。彼らは世々限りなく王として治める。
1,いのちの川の水
1~2節「御使いはまた、水晶のように輝く、いのちの水の川を私に見せた。川は神と子羊の御座から出て、都の大通りの中央を流れていた。こちら側にも、あちら側にも、十二の実をならせるいのちの木があって、毎月一つの実を結んでいた。その木の葉は諸国の民を癒やした。」
黙示録が語る御国の姿は、未来の姿だけではなく、現在の教会が目指す姿でもあります。私たちの目には見えなくても、教会には神様と子羊への礼拝が常に中央にあり、神様とイエス様から遣わされる聖霊が、いのちの水の川として一人一人に注がれるのです。
2,のろわれるものは何もない
3~4節「もはや、のろわれるものは何もない。神と子羊の御座が都の中にあり、神のしもべたちは神に仕え、御顔を仰ぎ見る。また、彼らの額には神の御名が記されている。」
「のろわれる」とは、大雑把にいうと不本意な状態に置かれることです。御国には、神様から離れた不本意な存在が何一つありません。すべての存在が神様に造られた本来の姿を取り戻し、神様を仰ぎ見ることができます。教会はそのような救いが実現する場所です。
3,もはや夜がない
5節「もはや夜がない。神である主が彼らを照らされるので、ともしびの光も太陽の光もいらない。彼らは世々限りなく王として治める。」
罪の中に生きる者は、自分の罪が明るみに出ないよう、神様から隠れて闇の中を生きる者です。しかし御国には夜がありません。それは、罪が完全にきよめられ、神様の光の中で、何一つ隠し事がなく生きることができる者とされたからです。






