*聖書のお話し(バイブル・メッセージ)
「題」 「走り抜く」
聖書の箇所 「ヘブル12:1~2」 (日本聖書協会:口語訳聖書より引用)
12:1 こういうわけで、わたしたちは、このような多くの証人に雲のように囲まれているのであるから、いっさいの重荷と、からみつく罪とをかなぐり捨てて、わたしたちの参加すべき競走を、耐え忍んで走りぬこうではないか。
12:2 信仰の導き手であり、またその完成者であるイエスを仰ぎ見つつ、走ろうではないか。彼は、自分の前におかれている喜びのゆえに、恥をもいとわないで十字架を忍び、神の御座の右に座するに至ったのである。
わたしたちの人生というものを、しばしばマラソン競技に例えたりすることがあります。聖書の中にもそのような例を見ることができます。へブル人の手紙12章1節~2節がそうです。このことばの背景には、当時、ギリシャで開催されていたオリンピックがあります。参加資格を得た選手が競技場に立つことは、どんなに栄誉であったことでしょう。スタジアムに満ち溢れた観客が、大歓声で応援します。「がんばれ!」 「走り抜け、そして、栄冠を勝ち得よ!」 わたしたちは、人生という競技場に出場を許された選手のようです。選ばれ期待され、エントリ―されたのです。そして、一人一人が目標を目指していかに走り抜くか、期待され注目されています。 この聖句から、私たちが「走り抜く」ために必要な条件を見出すことが出来ます。
1、過去のデータを調べる
走り抜く秘訣は走り抜いた人々の実例にあります。
「こういうわけで」(1)は、前の章を受けついでいます。そこには、過去に走り抜いた「多くの証人」の記録があります。それを分析してみるなら貴重で有力なデータが出てきます。栄光ある完走者の秘訣は、共通して「信仰によって」です。
2、身支度をよく整える
走り抜くためには身軽にならねばなりません。重い過去を引きずり、濡れた着物が体にまとわりつくような走り方はできません。身軽になるため、まず、捨てることから始めなければなりません。委ねるべき重荷、捨てるべき罪や誘惑とは何でしょう。
3、コーチに従う
世界に名を馳せた選手は、例外なく良いコーチに恵まれています。私たちの人生マラソンの名コーチはとはだれでしょうか。人となられたキリストは、栄光のランナーとして、その苦難と栄光に満ちた生涯を見事に完走されました。この方に優るコーチは誰もいません。この方は、私たちの「信仰の導き手、またその完成者」です。このお方を「仰ぎ見つつ」、この方に従って走るなら栄光が約束されています。