R7.8.31 京都教区合同礼拝式

題: 「神の時を生きる」
説教:才脇弘道牧師
聖書の箇所 「伝道者の書3章1~14節 」(旧約P.1141)
※聖書:新改訳2017©2017 新日本聖書刊行会
1 すべてのことには定まった時期があり、天の下のすべての営みに時がある。
2 生まれるのに時があり、死ぬのに時がある。植えるのに時があり、植えた物を抜くのに時がある。
3 殺すのに時があり、癒やすのに時がある。崩すのに時があり、建てるのに時がある。
4 泣くのに時があり、笑うのに時がある。嘆くのに時があり、踊るのに時がある。
5 石を投げ捨てるのに時があり、石を集めるのに時がある。抱擁するのに時があり、抱擁をやめるのに時がある。
6 求めるのに時があり、あきらめるのに時がある。保つのに時があり、投げ捨てるのに時がある。
7 裂くのに時があり、縫うのに時がある。黙っているのに時があり、話すのに時がある。
8 愛するのに時があり、憎むのに時がある。戦いの時があり、平和の時がある。
9 働く者は労苦して何の益を得るだろうか。
10 私は、神が人の子らに従事するようにと与えられた仕事を見た。
11 神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠を与えられた。しかし人は、神が行うみわざの始まりから終わりまでを見極めることができない。
12 私は知った。人は生きている間に喜び楽しむほか、何も良いことがないのを。
13 また、人がみな食べたり飲んだりして、すべての労苦の中に幸せを見出すことも、神の賜物であることを。
14 私は、神がなさることはすべて、永遠に変わらないことを知った。それに何かをつけ加えることも、それから何かを取り去ることもできない。人が神の御前で恐れるようになるため、神はそのようにされたのだ。

①日の下における人生
1章2節「空の空。伝道者は言う。空の空。すべては空。」
「空」と訳されたことばは、「息、水蒸気、煙」という意味です。つまり、人生における空しさと儚さ、不条理を言い表しています。 2章24節「人には、食べたり飲んだりして、自分の労苦に満足を見出すことよりほかに、何も良いことがない。」 時代は移り変わり、記憶も忘れ去られます。やがて人生の終わりには、知恵ある人も、愚かな人も、正しい人も、悪しき人も、すべての人が「死」という同じ結末を迎えます。日の下における人生、神様を抜きにした人生には、人に益をもたらすものは何もなく、風を追うようなものです。まさに、「空の空。すべては空。」です。
②天の下における人生
私たちの日常は、当たり前のことではなく、神様が与えて下さった恵みであり、賜物です。このことに気付く時、私たちの心から空しさは消え、神様への感謝が生まれます。この神様の恵みと賜物には、私たちにとって良いと思えることだけでなく、良くないと思えることも含まれています。しかし、それら私たちにとって良くないと思えることも、確かに、神様のみわざ、時にかなって美しい神様のみわざなのです。 神様の時を信じ、神様の時を生きる時、日の下にある空しい人生は、天の下にある実りある人生に変えられます。そればかりか、私たちは、永遠のいのちに、天国の希望に生かされています。たとえ、この地上において私たちの祈りと愛のわざが実を結ばなかったとしても、天国において永遠に覚えられているのです。 私たちの目に困難に見える今の時代も、「神様の時」と言えるのではないでしょうか。神様の時を信仰をもって受け入れ、神様の時を生きる時、時にかなって美しい神様のみわざを、私たちは見るのです。

京都教区合同礼拝 2025/08/31「神の時を生きる」 – YouTube

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