R6.7.28 オープンチャーチ礼拝式

題: 「信じることのできない心」
聖書の箇所 「マルコの福音書9章20~27節」(新約P.85)
※聖書:新改訳2017©2017 新日本聖書刊行会
20 そこで、人々はその子をイエスのもとに連れて来た。イエスを見ると、霊がすぐ彼に引きつけを起こさせたので、彼は地面に倒れ、泡を吹きながら転げ回った。
21 イエスは父親にお尋ねになった。「この子にこのようなことが起こるようになってから、どのくらいたちますか。」父親は答えた。「幼い時からです。
22 霊は息子を殺そうとして、何度も火の中や水の中に投げ込みました。しかし、おできになるなら、私たちをあわれんでお助けください。」
23 イエスは言われた。「できるなら、と言うのですか。信じる者には、どんなことでもできるのです。」
24 するとすぐに、その子の父親は叫んで言った。「信じます。不信仰な私をお助けください。」
25 イエスは、群衆が駆け寄って来るのを見ると、汚れた霊を叱って言われた。「口をきけなくし、耳を聞こえなくする霊。わたしはおまえに命じる。この子から出て行け。二度とこの子に入るな。」
26 すると霊は叫び声をあげ、その子を激しく引きつけさせて出て行った。するとその子が死んだようになったので、多くの人たちは「この子は死んでしまった」と言った。
27 しかし、イエスが手を取って起こされると、その子は立ち上がった。

1,信じることのできない心
21~22 節「イエスは父親にお尋ねになった。『この子にこのようなことが起こるようになってから、どのくらいたちますか。』父親は答えた。『幼い時からです。霊は息子を殺そうとして、何度も火の中や水の中に投げ込みました。しかし、おできになるなら、私たちをあわれんでお助けください。』」
父親は子が幼い時から何度も死にそうな目に遭ってきたことを見続けてきました。それで、だめかもしれないという信じることのできない心にだんだんと傾いていったのかもしれません。人の心は、希望を失いやすい弱いものなのです。

2,信じる心を与えてくださるイエス様
23 節「イエスは言われた。『できるなら、と言うのですか。信じる者には、どんなことでもできるのです。』」
父親が「おできになるなら」と信じる心を失いかけていることを、イエス様はするどく見抜かれました。子どもだけではなく、父親もまた、救われるべき存在であることを知らせるため、イエス様は「信じる者には、どんなことでもできる」と救いを信じる心を呼び起こされます。

3,不信仰を認める
24 節「するとすぐに、その子の父親は叫んで言った。『信じます。不信仰な私をお助けください。』」
信仰は、自分に信じる力がないことを認めることから始まります。そこから、イエス様に救いを求める心が起こされ、イエス様を信じる信仰へ導かれます。イエス様は私たちのために、十

字架にまでかかられるお方と信じる者にならせていただきましょう。

 

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