H24.4.29 主日礼拝

*聖書のお話し(バイブル・メッセージ)
「題」        「内面の義

聖書の箇所 「マタイ:5章17節~32節」 (日本聖書協会:口語訳聖書より引用)
17 わたしが律法や預言者を廃するためにきた、と思ってはならない。廃するためではなく、成就するためにきたのである。
18 よく言っておく。天地が滅び行くまでは、律法の一点、一画もすたることはなく、ことごとく全うされるのである。
19 それだから、これらの最も小さいいましめの一つでも破り、またそうするように人に教えたりする者は、天国で最も小さい者と呼ばれるであろう。しかし、これをおこないまたそう教える者は、天国で大いなる者と呼ばれるであろう。
20 わたしは言っておく。あなたがたの義が律法学者やパリサイ人の義にまさっていなければ、決して天国に、はいることはできない。
21 昔の人々に『殺すな。殺す者は裁判を受けねばならない』と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。
22  しかし、わたしはあなたがたに言う。兄弟に対して怒る者は、だれでも裁判を受けねばならない。兄弟にむかって愚か者と言う者は、議会に引きわたされるであろう。また、ばか者と言う者は、地獄の火に投げ込まれるであろう。
23 だから、祭壇に供え物をささげようとする場合、兄弟が自分に対して何かうらみをいだいていることを、そこで思い出したなら、
24 その供え物を祭壇の前に残しておき、まず行ってその兄弟と和解し、それから帰ってきて、供え物をささげることにしなさい。
25 あなたを訴える者と一緒に道を行く時には、その途中で早く仲直りをしなさい。そうしないと、その訴える者はあなたを裁判官にわたし、裁判官は下役にわたし、そして、あなたは獄に入れられるであろう。
26 よくあなたに言っておく。最後の一コドラントを支払ってしまうまでは、決してそこから出てくることはできない。
27 『姦淫するな』と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。
28 しかし、わたしはあなたがたに言う。だれでも、情欲をいだいて女を見る者は、心の中ですでに姦淫をしたのである。
29 もしあなたの右の目が罪を犯させるなら、それを抜き出して捨てなさい。五体の一部を失っても、全身が地獄に投げ入れられない方が、あなたにとって益である。
30 もしあなたの右の手が罪を犯させるなら、それを切って捨てなさい。五体の一部を失っても、全身が地獄に落ち込まない方が、あなたにとって益である。
31 また『妻を出す者は離縁状を渡せ』と言われている。
32 しかし、わたしはあなたがたに言う。だれでも、不品行以外の理由で自分の妻を出す者は、姦淫を行わせるのである。また出された女をめとる者も、姦淫を行うのである。

 当時のユダヤ人の社会生活は、多くの規則によって縛られていました。モーセの十戒をはじめ「書き記された律法」(トーラー)に加えて、律法学者によるそれらの解釈や適応である「口伝の律法」(ハラカー)を守り、生活の細部にまで及ぶ規定をことごとく守ることによって神の前に義と認められると考えたのです。
イエスは弟子たちに「律法学者やパリサイ人の義にまさる義」を持たなければならないと言われました。それは、律法の行いにおいて彼らにまさるよう頑張れということでなく、彼らの義とは質的に全く違う義について言われたのです。続く5章後半には5つの「反対命題」が語られています。ここで主は、人々が教えられてきた律法の解釈とご自分の解釈を対比させ、ユダヤ教的な義と弟子たちの持つべき義の違いを明らかにされました。それは律法学者たちの考える外面の義に対して、神の国に生きる民の持つ内面の義です。
1、「人を殺してはならないとは・・」 (21~26)
 律法学者やパリサイ人たちは、実際に殺人を行わねば殺人罪にはならないと教えていました。しかし、主は人の心にある怒りや蔑みの言葉も殺人であるとされます。
「兄弟に対して怒る者は、だれでも裁判を受けねばならない。兄弟に向かって愚か者と言う者は、議会にひきわたされるであろう。また、ばか者と言う者は、地獄の火に投げ込まれるであろう。」(22)
人に対して怒りを持つことや、嘲る言葉を出すことがすでに内面の殺人なのです。悔い改めて赦しを求め和解するよう命じられます。さらに、自分に恨みを抱く人があれば、その人と積極的に仲直りすることを命じられています。その時、弟子たちの義は律法学者やパリサイ人にまさるものとなるのです。

2、「姦淫してはならないとは・・」 (27~32)
 「だれでも情欲をいだいて女を見る者は、心の中ですでに姦淫をしたのである」(27)
従来は、そのような行為に及ぶことだけが問われましたが、イエスは「心の中の姦淫」を問われます。これは男性にとって大変厳しい問いです。そして、罪を犯させる一切の要因を断固切り捨て、断ち切るよう求められるのです。当時、離婚するときは離縁状を渡さなければならないという規定がありました。これは、女性の弱い立場が守られるようにと定められた規定でした。しかし、男たちはそれを逆手にとって離縁状を渡せば好き勝手に離婚できるのだと考えたのです。しかし、主は、それは姦淫を犯し、また犯させることになると警告されます。
 主が求められる内面の義は、もはや、自分の行いや努力によって獲得するものではありません。私たちの心を探るイエスの厳しいお言葉を通して、自分の心の内にある罪と肉性とを認めるべきです。そして、真実に悔い改め、信仰によってキリストによる神の義を受ける他ありません。弟子たちの義は、恵みとして与えられるものなのです。

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