H30.11.18オープン・チャーチ

「題」 「神様に認められる人
聖書の箇所 「ルカによる福音書18章9~14節
(日本聖書協会:口語訳聖書より引用)
18:9 自分を義人だと自任して他人を見下げている人たちに対して、イエスはまたこの譬をお話しになった。
18:10 「ふたりの人が祈るために宮に上った。そのひとりはパリサイ人であり、もうひとりは取税人であった。
18:11 パリサイ人は立って、ひとりでこう祈った、『神よ、わたしはほかの人たちのような貪欲な者、不正な者、姦淫をする者ではなく、また、この取税人のような人間でもないことを感謝します。
18:12 わたしは一週に二度断食しており、全収入の十分の一をささげています』。
18:13 ところが、取税人は遠く離れて立ち、目を天にむけようともしないで、胸を打ちながら言った、『神様、罪人のわたしをおゆるしください』と。
18:14 あなたがたに言っておく。神に義とされて自分の家に帰ったのは、この取税人であって、あのパリサイ人ではなかった。おおよそ、自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるであろう」。

1、自分を義人だと自任する人
 9節「自分を義人だと自任して他人を見下げている人たちに対して、イエスはまたこの譬をお話になった」。
「自分を義人だと自任して」とは、正しい人になろうと努力し、その通りに生きていると自覚していることです。確かにパリサイ人は、罪や汚れから離れようと努力しています。しかしその結果、他人を見下げ、自分さえ良ければいいという、愛を失った自分中心の生き方になるという問題がありました。

2、神様のゆるしを求める人
 13節「取税人は遠く離れて立ち、目を天にむけようともしないで、胸を打ちながら言った、『神様、罪人のわたしをおゆるしください』と」。
「おゆるしください」は、「あわれんでください」「かえりみてください」という意味です。取税人は、自分がどんなに努力しても、神様には受け入れられないと自覚していました。そして、ただ神様にしか望みがないと、神様のあわれみを請う祈りを献げました。

3、神様に義とされた人
 14節「あなたがたに言っておく。神に義とされて自分の家に帰ったのは、この取税人であって、あのパリサイ人ではなかった」。
パリサイ人が正しくあろうとしながらも、自分中心な人間になって、他人を卑下してしまうように、人は自分の努力によって罪から逃れることはできないのです。ただ自分が罪人であることを認めて、罪から救うお方は神様だけと信じる者が、神様に正しい人と認められるのです。

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