題: 「恵みを満たされる救い主」
説教:西舞鶴教会:三輪正見(まさあき)牧師
聖書の箇所 「詩篇23篇1~6節」(旧約P.954)
※聖書:新改訳2017©2017 新日本聖書刊行会
1主は私の羊飼い。
私は乏しいことがありません。
2主は私を緑の牧場に伏させ
いこいのみぎわに伴われます。
3主は私のたましいを生き返らせ
御名のゆえに 私を義の道に導かれます。
4たとえ 死の陰の谷を歩むとしても
私はわざわいを恐れません。
あなたが ともにおられますから。
あなたのむちとあなたの杖
それが私の慰めです。
5私の敵をよそに あなたは私の前に食卓を整え
頭に香油を注いでくださいます。
私の杯は あふれています。
6まことに 私のいのちの日の限り
いつくしみと恵みが 私を追って来るでしょう。
私はいつまでも 主の家に住まいます。
ダビデは王でありながら牧者のように信仰者を導かれる神様に信頼し続けました。
1.無力な羊と羊飼い
ダビデはまず「主は私の羊飼い」と告白します。彼は少年時代の牧羊経験から、羊にとっての牧者の大切さをよく知っていました。羊は決して強い家畜ではありません。しかし、彼を守る羊飼いの庇護の下にある時、安全に生きることが出来ます。ですからダビデは、決して平坦とは言えなかった人生を通して、自分の無力、弱さを知り、全能の神を自らの牧者とすることこそが幸いに至ると悟ったのです。時に信仰者は、「死の陰の谷」を通ることもあります。しかし、危機の時こそ神様の臨在をより身近に体験出来ます。「あなたが、ともにおられますから」の確信に満ちる時、私たちの問題は解決します。イエス様は「わたしは良い牧者です」と言われました。十字架に命を捨てて人類の罪をきよめて下さったお方こそ、われらの牧者です。復活の大牧者イエスは、今も生きて働いておられます。
2.永遠の御国にまで
聖書は決して、クリスチャン生活の安逸を約束していません。むしろ「敵」による迫害を示唆します。ところが真の信仰者は敵陣に対していても「敵をよそに」して、神様のより深い恵みに与れるというのです。時に私たちは、激しい試練に遭うかも知れません。しかし、臨在の主イエスは必ず救って下さいます。ダビデは「まことに、私のいのちの日の限りいつくしみと恵みが、私を追って来るでしょう」という喜びの確信に満ちています。キリストの復活により、天国への希望があるからこそ私たちは、この世の死別、災い、試練にも屈しないで、救い主イエス様を見つめながら歩いて行けます。信仰により、主に在る全ての恵みを享受する人生でありますように。