R6.5.12 礼拝式

題: 「少年イエス」
聖書の箇所 「ルカの福音書2章41~52節」(新約P.112)
※聖書:新改訳2017©2017 新日本聖書刊行会
41 さて、イエスの両親は、過越の祭りに毎年エルサレムに行っていた。
42 イエスが十二歳になられたときも、両親は祭りの慣習にしたがって都へ上った。
43 そして祭りの期間を過ごしてから帰路についたが、少年イエスはエルサレムにとどまっておられた。両親はそれに気づかずに、
44 イエスが一行の中にいるものと思って、一日の道のりを進んだ。後になって親族や知人の中を捜し回ったが、
45 見つからなかったので、イエスを捜しながらエルサレムまで引き返した。
46 そして三日後になって、イエスが宮で教師たちの真ん中に座って、話を聞いたり質問したりしておられるのを見つけた。
47 聞いていた人たちはみな、イエスの知恵と答えに驚いていた。
48 両親は彼を見て驚き、母は言った。「どうしてこんなことをしたのですか。見なさい。お父さんも私も、心配してあなたを捜していたのです。」
49 すると、イエスは両親に言われた。「どうしてわたしを捜されたのですか。わたしが自分の父の家にいるのは当然であることを、ご存じなかったのですか。」
50 しかし両親には、イエスの語られたことばが理解できなかった。
51 それからイエスは一緒に下って行き、ナザレに帰って両親に仕えられた。母はこれらのことをみな、心に留めておいた。
52 イエスは神と人とにいつくしまれ、知恵が増し加わり、背たけも伸びていった。いたのです。」

1,イエス様が宮で教えを受けられる
46~47節「そして三日後になって、イエスが宮で教師たちの真ん中に座って、話を聞いたり質問したりしておられるのを見つけた。聞いていた人たちはみな、イエスの知恵と答えに驚いていた。」
イエス様は律法を守られ、過越の祭りに毎年エルサレムに行かれました。宮では教師たちの教えを受けられました。イエス様は地上では、神様と等しくあることを捨てて、人として歩まれました。

2,イエス様は父の家におられる
49~50節「すると、イエスは両親に言われた。『どうしてわたしを捜されたのですか。わたしが自分の父の家にいるのは当然であることを、ご存じなかったのですか。』しかし両親には、イエスの語られたことばが理解できなかった。」
「自分の父の家」は「自分の父の者たちの間」あるいは「自分の父のみわざのうち」という意味でもあります。イエス様は、神様が愛する者たちとともに、また神様の働きがあるところにおられるという意味です。イエス様を見失い、捜し回ることのないようにしましょう。

3,イエス様はナザレに帰られた
51~52節「それからイエスは一緒に下って行き、ナザレに帰って両親に仕えられた。母はこれらのことをみな、心に留めておいた。イエスは神と人とにいつくしまれ、知恵が増し加わり、背たけも伸びていった。」
イエス様はナザレに帰られ、両親に仕えられます。エルサレムではなく、辺境の地と見られていたナザレの地を、神様の働きが始められるところとされます。神様の働きがどのようなところから始められるのか、みこころを祈り求め、神様と隣人とに仕えましょう。

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