R5.11.12 礼拝式

題: 「御国の王の招き」
聖書の箇所 「マタイの福音書25章1~13節」(新約P.52)
※聖書:新改訳2017©2017 新日本聖書刊行会
1 そこで、天の御国は、それぞれともしびを持って花婿を迎えに出る、十人の娘にたとえることができます。
2 そのうちの五人は愚かで、五人は賢かった。
3 愚かな娘たちは、ともしびは持っていたが、油を持って来ていなかった。
4 賢い娘たちは自分のともしびと一緒に、入れ物に油を入れて持っていた。
5 花婿が来るのが遅くなったので、娘たちはみな眠くなり寝入ってしまった。
6 ところが夜中になって、『さあ、花婿だ。迎えに出なさい』と叫ぶ声がした。
7 そこで娘たちはみな起きて、自分のともしびを整えた。
8 愚かな娘たちは賢い娘たちに言った。『私たちのともしびが消えそうなので、あなたがたの油を分けてください。』
9 しかし、賢い娘たちは答えた。『いいえ、分けてあげるにはとても足りません。それより、店に行って自分の分を買ってください。』
10 そこで娘たちが買いに行くと、その間に花婿が来た。用意ができていた娘たちは彼と一緒に婚礼の祝宴に入り、戸が閉じられた。
11 その後で残りの娘たちも来て、『ご主人様、ご主人様、開けてください』と言った。
12 しかし、主人は答えた。『まことに、あなたがたに言います。私はあなたがたを知りません。』
13 ですから、目を覚ましていなさい。その日、その時をあなたがたは知らないのですから。

1,賢い娘たち
3~4節「愚かな娘たちは、ともしびは持っていたが、油を持って来ていなかった。賢い娘たちは自分のともしびと一緒に、入れ物に油を入れて持っていた。」
花婿を迎える娘たちの話は、キリストをお迎えする信仰についてたとえています。「賢い」と訳されていることばの語源は、いつもそのことを考え、そのことに捕らわれているという意味があります。賢い娘たちは、いつも神様を第一に思う信仰が備わっていました。

2,信仰は分けることができない
8~9節「愚かな娘たちは賢い娘たちに言った。『私たちのともしびが消えそうなので、あなたがたの油を分けてください。』しかし、賢い娘たちは答えた。『いいえ、分けてあげるにはとても足りません。それより、店に行って自分の分を買ってください。』」
神様を待ち望む信仰は、人に分け与えることができません。イエス様が再び地上に来られ、天国が完成するというときが来てから、慌てて信仰を獲得しようとしても、手遅れになります。まだ大丈夫と思っていてはいけません。その日、その時がいつかわからないのですから。

3,目を覚ましていなさい
13 節「ですから、目を覚ましていなさい。その日、その時をあなたがたは知らないのですから。」
「目を覚ましていなさい」とは、肉体の目覚めではありません。信仰の目を覚ましているということです。それは自分自身の弱さを自覚することでもあります。イエス様がすべてをご存知であり、私たちをどんなことからも救うお方と信じるなら、永遠のいのちに満たされます。

 

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